南雄太はなぜ44歳まで戦えたのか 黄金世代のGKが引退発表の胸中を語る (3ページ目)
【『79年組』に伝える気持ち】
「自分のキャリアをグラフにすると、ずっとアップダウンですから」
南はそう言って苦笑する。
「三十代後半からは、ずっと年齢のことを言われて。だからこそ(ライバルに)少しも隙を与えちゃいけないとは思いました。練習は、少々痛めていても、休まない。監督に理由を与えることになりますからね。"将来のある若い選手にチャンスを"という流れができる(苦笑)。GKはたったひとつのポジション。FWなら途中出場でアピールとかあるんですが。でも、その危機感がずっと自分を突き動かしてきたのもあると思います」
南はプロ選手として戦い続けるため、あらゆる手を尽くしてきた。練習後、全身をアイシングして歩いていると、「ロボットのようだ」と笑われる。どうしてそこまで必死になれるのか。そう言われても、少しでもケガしないようにするのは当たり前だろ、と彼は思うのだ。
「カズさん(三浦知良)、俊さん(中村俊輔)と一緒にプレーし、間近で見たことも大きかったですね。彼らは24時間、サッカーのために生きていて、ここまでやるかって思いましたから」
そんな彼も濃厚にサッカーを生きたひとりだ。
1999年のワールドユースで準優勝した南は、いわゆる"黄金世代"のひとりである。世代の先頭を走ってきた小野伸二も、同じく今シーズン限りでの現役引退を発表した。24人で構成する『79年組』というグループラインで、引退発表前日に小野もそこで仲間たちに気持ちを伝えていた。南も、「そのつもりです」と洩らしていた。
「お世話になった方々には、引退の報告を発表前にしようと連絡を入れています。リストを作りましたよ。でも電話で久々に話すと長くなって、なかなかはかどりません」
そう言って快活に笑った顔には、少しの曇りもなかった。彼のように戦いきって幕を下ろせる選手は、ひと握りだ。
「(79年組の)曽ヶ端(準)には電話で伝えようと思っていますよ。あいつが引退する時も電話くれたんで」
それは彼らしい律儀さか。あるいはGK同士だけの呼吸だ。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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