南雄太はなぜ44歳まで戦えたのか 黄金世代のGKが引退発表の胸中を語る (2ページ目)
【「やめるな」と言われてスッキリ】
しかし徳島戦に向け、ようやく調子が戻ってきた手応えを感じていた。しかし、それは自分の感覚でしかなかった。そして、チームの連勝を目の当たりにした。
「今までだったら掴み取っていたチャンスでした。引退という言葉が、初めて頭をよぎるようになりましたね。現役を続けるつもりで、クラブにも意志を伝えていたんですが......」
南は当時の心境を説明する。
「一時の感情じゃないか、とも思いました。それで信頼できるキタジ(北嶋秀朗)、松本拓也(GKコーチ)という2人に相談した。2人は案の定、『まだやれる』って励ましてくれました。キタジは、『いつもはやめないほうがいいとは言わない。それは大きな決断だから。でも、お前にはやめるなって言うわ』と言ってくれて、嬉しかったです。でも、そう言ってもらえてスッキリしちゃって」
反骨心は湧いてこなかった。決心した彼は、妻に決断を伝えた。
なぜ、彼は44歳まで最前線で戦えたのか?
南は18歳の高卒ルーキーで、いきなり柏レイソルのゴールマウスを任されている。恵まれた環境で、「やっている、と自分では思っても、やっているレベルが低かった」と言う。そしてライバル、菅野孝憲との争いでポジションを失ったとき、彼は再起を期して移籍を決めた。
「スゲ(菅野)との2年間で、自分に矢印が向きました。あれがなかったら、今の自分はないですね」
南は言う。
「ポジションを失って、『プレースタイルが違うから』とか、『監督が変われば』とか、言い訳を作っていたんです。でも、ピッチに立っていたのはスゲで......。それには理由があって、自分に何かが足りないから、ピッチに立てていない。それを認識できました。そこからはプライドを捨てるじゃないけど、ピッチに立つため、スゲを観察し、盗めるものは盗もうって。それで成長できたところはあって、今も変わらず、18、19歳のGKでも、"教えを乞い"ますよ(笑)」
J2ロアッソ熊本での1年目は、J2最高のGKと言われる活躍だった。そして30歳から、時間を逆行させるような成長曲線に入る。34歳で横浜FCに移籍後、見事にJ1昇格の立役者になった。そして40歳で再びJ1でプレー後、42歳で大宮アルディージャに移籍し、降格の危機を救ったのだ。
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