ガンバ大阪・山本理仁「簡単に試合に出られる、活躍できるとは思っていない」それでも海外移籍を決意したわけ (5ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

 期限付き移籍前のラストマッチとなった6月24日のJ1リーグ第18節、鹿島アントラーズ戦では後半、70分からピッチへ。

「ダニはずっと僕の能力を信じ続けてくれていた。前半、秋くん(倉田)が負傷したことで(控えメンバーでは)亮太郎くん(食野)が最初にピッチに立ちましたけど、この状況にある僕を後半、最初のカードとして切ってくれてすごくうれしかった」

 2-0で優位に試合を進めながら、終盤、1点差に詰め寄られてからは苦しい時間も続いたが、全員で凌ぎ切り勝利をつかみ取る。試合終了後は、仲間たちから『ガンバクラップ』の先頭に立つよう促され、1ゴール1アシストの活躍を見せた黒川圭介と並んで音頭を取った。実は、この時点ではSTVVでのメディカルチェックが済んでおらず、クラブからの正式発表前の"フライング"だったが、先輩たちにあれよあれよという間に肩車で担がれた"弟"は、新たな船出を祝福され笑顔を見せた。

「発表されてないのに、あの人たちが担ぐから! まだダメでしょ! とは言ったけど止められなかった(笑)」

 さらに、山本が加入してからのこの一年は負ける悔しさを味わう試合が多かったが、「今日は勝って締めくくられて本当によかった」と言葉を続けた。

「チームの成長を感じている時だけに、自分も『このチームとともに』って感情も多少はありながら......ただ、やっぱり『チャレンジしたいという』気持ちを大事にしたい。それを後押ししてくれたフロントスタッフをはじめ、クラブに関わるすべてのみなさんに恩返しができるように向こうでしっかり活躍したいと思います。

 この半年、海外を目指すうえで、外国籍の監督とやれた経験は財産になったし、ダニから学んだことは今後にも生きるはず。しかも、少し特殊な戦術、サッカーに触れられたことも、この先、きっと意味があるものになると思う。いや、そうできるように、自分なりに解釈して今後に生かしていきたいです」

 以前、彼は「プロ2年目に自身のプレーを見失って苦しんでいた時期に、永井さんに教えられて知った」という尾崎豊の『僕が僕であるために』という曲を今も時折、聴いていると話していたことがある。その歌詞で「一番好きだ」と話していた、タイトルになぞらえたフレーズを自分自身に突きつけながら、山本はSTVVで新たなスタートを切る。

山本理仁(やまもと・りひと)
2001年12月12日生まれ、神奈川県出身。東京ヴェルディジュニア→ジュニアユース→ユースを経て、2019年の高校2年時に飛び級でトップチームに昇格。同年5月のV・ファーレン長崎戦でJリーグデビューを果たす。2022年7月にガンバ大阪へ完全移籍し、2023年6月にはベルギーのシント=トロイデンVVに期限付き移籍した。10代の頃から世代別代表に名を連ね、現在はU−22日本代表の中軸としても活躍。2023年パリ五輪での躍進を目指す。

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