ガンバ大阪・山本理仁「簡単に試合に出られる、活躍できるとは思っていない」それでも海外移籍を決意したわけ (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

 特にガンバでの自分にもすごくフィットする言葉なので。現に、メンバー外になった時もあまり重く考えすぎず、『その時間を使ってパーソナルトレーニングを入れればいいや』くらいの感覚で過ごしています。

 というのも以前、(鈴木)唯人も言っていましたけど、試合に使われるか、使われないかは監督次第ですから。実際、彼もそうやって自分の成長にフォーカスを当てて過ごしてきたはずで、だから清水エスパルスでの最後のほうはあまり試合に出られなかったのに、五大リーグでプレーするチャンスをつかめた。

 だからこそ僕も、試合に出られるかどうかに気持ちを揺らしている暇があったら、自分を磨く期間だと受け止めて、成長することにフォーカスして過ごしたほうが絶対にいい。つまり、チャンスがきた時に何ができるか、だと思っています」

 恩師にもらった金言はおそらく、今回のチャレンジにあたっても山本の未来を切り拓く言葉になるはずだ。大きな壁が立ちはだかっても、自分に矢印を向けて、やるべきことに真摯に取り組み、成長を求め続けた日々が夢の実現につながったように、今回の期限付き移籍を本当の"始まり"にできるかはすべて、本人次第。幼少の頃から自身を育ててくれたヴェルディや、わずか一年という在籍期間ながらも「一生の思い出に残る時間になった」と話すガンバで過ごした日々も力に変えて。

「さっきも話したとおり、ガンバでプレーできている事実が、自信やプレーの変化にもつながって、海外のキャリアを切り拓けた。感謝もしていますし、大阪という土地にもようやく慣れてきただけに寂しさもあります。

 特に今年に入ってから、日本一のスタジアムで、日本一のサポーターの大声援を受けてプレーできて......自分にとってはもう、本当に半端ない雰囲気でしたから。J2リーグでプレーしていた時代は、3000人すら入らない試合もあったと考えても、こんなにもたくさんの人たちの声援のなかでプレーできて本当にすごくうれしかったし、一生の思い出に残る時間になりました。

 自分はここに何も残せなかったですけど、僕自身は本当にガンバにこれてよかったし、ガンバが大好きになりました。これから自分が世界に出て、成功を求めて進んでいった先に、この一年があったから今の自分がいると思えるように、そういう成功を手にできるように、過ごしていきたいと思っています」

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