古橋亨梧や旗手怜央らの活躍を横目に、井手口陽介が抱えていた苦悩「このままだとサッカー人生が終わってしまう」

  • 高村美砂●取材・構成 text by Takamura Misa
  • photo by Getty Images

「ケガは不運なところもありますけど、そこも含めてサッカー選手なので、自分の力不足だと言わざるを得ない。それに、開幕前のプレシーズンマッチは3試合のうち2試合には使ってもらえたけど、最後の1試合は使ってもらえなかったことを考えれば、ケガなく開幕を迎えていても、起用されたかどうかは正直、わからないですしね。

 そういう意味ではアクシデントがあったからなのか、最初から監督の構想外だったのかはわからないけど、結果的にまったく使われなかったということは、必要とされるほどの力がなかったということだと思います。......ということは、シーズンが進んでいくなかでも真摯に受け止めていたし、自分の置かれている状況への責任は、誰のせいでもなく自分にあると考えていたので、とにかく練習するだけやと思っていました。

 ただ、向こうは試合数が多いこともあって、日本のJクラブのように、試合に出ていない選手のために練習試合が組まれることはほぼないし、シーズン中は紅白戦もフルコートではまずやらない。となると、試合に絡めない選手は、試合感を培う場所がなく、練習のための練習になっている感は否めずで......。自分がどこに向かっているのか、何にアピールしているのかもわからずにサッカーをしている状況は、正直、自分にプラスになっているとは思えなかった。

 それもあって、新シーズンが始まって、わりと早い段階から、クラブにも『監督の構想外ならチームを出たい』『少しでも試合に絡めるチャンスがあるチームに行きたい』という意向は伝えていたし、代理人にも動いてもらっていたんです。もちろん、他に行ったところで(試合に)出られる保証はないけど、まずはとにかくスタートラインに立たせてもらえるチームでプレーしたいという一心でした」

 だが、その時はまだ"海外"で新たな道を探ろうと考えていたそうだ。彼にとっては2度目の海外で「ここでまた日本に戻ったら、二度と海外での道を探れないかもしれない」「試合に出られないから日本に戻るのでは、自分に何も残らないんじゃないか」という思いがあったからだ。

 しかし、そんな考えは、ある出来事をきっかけに、一気に吹き飛んだ。

(つづく)井手口陽介が1年でJ復帰を決めたわけ「要は嫉妬です」

井手口陽介(いでぐち・ようすけ)
1996年8月23日生まれ。福岡県出身。ガンバ大阪のアカデミー育ちで、高校3年生の時にトップチーム昇格を果たす。昇格3年目の2016年にはレギュラーを獲得。同年、五輪代表としてリオデジャネイロ五輪にも出場する。その後、日本代表にも初招集された。そして2018年、プレミアリーグのリーズへ移籍。レンタル先のスペインやドイツのクラブでプレーしたあと、2019年にガンバへ復帰した。2021年末、再び海外移籍を実現してセルティック入り。負傷などもあって出場機会をなかなか得られず、2023年2月、アビスパ福岡へ移籍を決めた。

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