43歳・遠藤保仁が語った「引退」に対する考え。「近づいているという自覚はある。でも...」 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・構成 text by Takamura Misa
  • photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

 プレーでも、思考の部分でも、ありのままの自分を受け入れ、そこに身を委ねる。抗うことも、無理をすることもない。自分に正直に、気持ちの赴くままに、ゆらゆらと、ふわふわと。

 一見、緩くも見えるその姿を、ともにプレーしたことのある多くのチームメイトの多くが「ヤットさんらしさ」だと表現してきたが、実は、遠藤の"らしさ"は取材の最後に聞いた言葉に集約されている。今シーズンの自身についての"見どころ"を尋ねた時のことだ。

「見どころは......特にないな。注目してもらいたいとも正直、思わない(笑)。目標も......チームとしてはJ1昇格になるだろうけど、当たり前すぎて、掲げるほどでもない。

 ただ、個人的なところで強いて挙げるなら......今年は若手に一生懸命ついていくのが目標。近年はずっと追いかけられる立場にあったけど、そろそろ、年齢的にも追いかける側に回っていいんじゃないかと(笑)。そういう意味では、プロに入りたての時のような気持ちに戻っていけたらいいなって思う。

 上の選手を目指して、もっともっと、と戦っていた時のような自分というか。これまで、いろんな経験をして所属チームでも日本代表としても、獲得できるタイトルはすべて獲って、ありがたいことに個人タイトルもいろいろいただいて、いろんなことをやり尽くしたように見えるかもしれないけど、この年齢でプロに入ったばかりの頃のメラメラしていた自分を思い出して、他の選手を引きずり落としていく、みたいな気持ちでサッカーをするのもいいな、と。そして、引きずり落とす(笑)。楽しみです」

 生粋の負けず嫌いは、43歳になった今も変わらない。ピッチの上ではもちろん、人知れずさまざまな戦いを続けてきたピッチ外でも、だ。そして、そのことが遠藤保仁の輝きを今も支えている。

(おわり)

遠藤保仁(えんどう・やすひと)
1980年1月28日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島実高卒業後、横浜フリューゲルス入り。同クラブが消滅後、京都パープルサンガを経てガンバ大阪へ。チームの"顔"として数々のタイトル獲得に貢献した。同時に日本代表でも主軸として活躍。2020年10月にジュビロ磐田へ移籍。J2に降格した今季、1年でのJ1復帰を目指す。

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