ジーコが吐露した鹿島アントラーズへの思い。「仕事をする最後の年になると思う」 (3ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

鹿島と私の美しい物語だった

 もうひとつ、イメージという仕事がある。そのためにチームの広報やマーケティングに力を貸すのだ。サポーターとのイベントに顔を出したり、スポンサーとの関係に力を貸したり、チームのイメージアップにつながることをする。誠実で先進的なチームというアントラーズが常に持ち続けてきたイメージをキープすることに手を貸すのだ。

 ブラジルにいる時も、どんな些細なことでも、私は常にチームの力になる用意があった。24時間、私は彼らを助ける体制にあった。そのことは彼らもよく知っているはずだ。日本にいる時はよりアクティブになる。私は年に数回、日本に来るが、その時は可能な限り多くの試合を見るようにしてきた。

 試合のない日には、トップチームはもちろん、さまざまな年代のチームの練習も見るようにしている。もし誰かが、彼らのプレーや個々の選手に対する意見を求めてきたなら、できるだけ有効な助言をしたいからだ。そうしたアドバイスができることは私にとってもとても嬉しいことである。いつでも最高の答えを用意しておきたいと思っている。

 クラブアドバイザーとなったのは、私のアイデアではない。鹿島の幹部側から依頼されたものだ。正直、私はこのオファーに驚いた。鹿島は数年前から経営母体が変わっていたので、テクニカルディレクターとしての契約が満了したあとは、その続きはないと思っていたからだ。新経営陣が私を必要としてくれたことを嬉しく思う。チームが常に高いレベルにあるために、彼らはできる限りのことをしている。彼らであればきっと今後も鹿島を輝かせることができるだろう。

 ただ、たぶん今シーズンが、私が鹿島と仕事をする最後の年になると思う。鹿島と私の物語は美しく、すばらしいものだった。私はこの私のチームに、自分が持てるすべてのものを与えた。日本との関わりが切れることはかなり寂しいが、しかし「tudo bem(すべてよし)」だ。私はこれまで我がチーム、鹿島アントラーズにしてきたことを誇りに感じている。
(つづく)

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