国立のヒーローたちが振り返る、「日本のサッカーで唯一客が入った」時代の高校選手権 (4ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

 ただ、ヘディングで大事なのは、高さよりもタイミングじゃないですか。それがダメで、プロになって壁を感じました」

江原「僕は選手権前の国体で頸椎をケガしていて、予選はそのケガの影響でほとんどプレーできなかったのですが、かえって余計な力が抜けてよかった。準々決勝の南宇和(愛媛)戦で決勝ゴールを決めてベスト4に行きましたが、得点後に味方が喜んで抱きついてきても首が痛くて露骨に痛そうな顔をしていましたから(苦笑)。そのぶん、プレー中は無心というか、いい精神状態でできていたんだと思います」
(つづく)

プロフィール
平澤政輝(ひらさわまさき)
1969年4月25日生まれ。大河FC→東海大一高→トヨタ。65、66回大会の2度の高校選手権で計10ゴールを挙げて、優勝&準優勝に貢献。高校卒業後にトヨタに進んだが、ほどなく引退。現在はトヨタ自動車株式会社、東富士研究所勤務

山田隆裕(やまだたかひろ)
1972年4月29日生まれ。清水商業1年時の67回大会の市立船橋との高校選手権決勝で決勝ゴールをマーク。日産を経て、横浜マリノス、京都、ヴェルディ川崎、仙台と渡り歩き、03年に引退。J1出場224試合20点、J2出場47試合3点。国際Aマッチ1試合出場

江原淳史(えはらあつし)
1974年4月14日生まれ。東浦和中→武南高→中央大(中退)。70、71回大会の高校選手権で計11ゴールをマーク。3年時の71回大会では8ゴールで得点王、エースとして名門武南をベスト4に導いた。現在はアヴェントゥーラ川口(関東2部)の理事、ジュニアユース監督を務める

森崎嘉之(もりさきよしゆき)
1976年4月20日生まれ。市立船橋卒。73回大会の高校選手権で8ゴールを決め、市船の初優勝に貢献。ジェフ市原(現千葉)に2年間所属も、リーグ戦出場はなし。中古車販売会社などを経て、15年からドリームサッカースクール(千葉県八千代市)代表。児童や中学年代にサッカーの楽しさを教えている

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る