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アルシンドが明かす鹿島アントラーズ入団秘話。「日本に来てみないか」ジーコの誘いに「イエス」と即答した (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【黎明期に関われたことを誇りに思う】

 そしてなにより、新しいリーグの創設に携われること、未来を作りあげることのすばらしさを力説された。その挑戦は私の魂をとらえた。日本のサッカーの力になりたかったし、自分のプレーするチームをトップにしたかった。たぶん、それにおいては成功したんじゃないかな。

 私はそれまでブラジルで築いたすべてのものを残して、地球の反対側に行くことに決めた。そこではすべてがまだ始まったばかりだったが、何か新しいものを作れると信じていた。金と友情と名声と挑戦、日本にはすべてがそろっていた。Jリーグの黎明期に関われたことを私は心から誇りに思う。

 ただ、日本に来たばかりの頃は、サッカーをとりまく環境がまだ整ってはいなくて、いろいろなことで驚かされた。たとえば、試合のボールが既定の重さより軽かったり、ピッチの芝がところどころはげて、転ぶと摩擦で傷ができたり。練習で使う用具も運んでくれるスタッフがいなかったし、何より一番驚いたのは、練習や試合で着たユニホームを選手たちがそれぞれ家に持って帰って洗濯しなければならなかったことだ。ブラジルではありえない。

 最初の頃はスタジアムもガラガラで、本当にまだすべて始まったばかりなのだということがよくわかった。本当に誰もいなくて、私はジーコに「我々はいったいどこにいるんだい? この近くに人は住んでいないの?」と聞いたぐらいである。日本は野球がダントツで一番人気のスポーツで、サッカーのサポーターはまだ少なかった。ガラガラのスタンドを見ながら、サッカーをこの国に定着させるのは難しいと実感した。

 ただし、状況が変化していくのもまた早かった。Jリーグ開幕を前に、観客が少しずつスタジアムにやってくるようになった。鹿島スタジアムのこけら落としには、フルミネンセを招いてプレシーズンマッチを行なった。足を運んでくれた観客は、もしかしたらフルミネンセが何者か知らず、選手はジーコしか知らなかったかもしれないが、とにかく我々のプレーを見て声援を送ってくれた。

 何の先入観も持たない彼らは、純粋にいいプレーに拍手を送ってくれた。それは僕にとって新鮮な経験でもあった。だから我々はベストを尽くしてプレーした。彼らにサッカーを面白いと思ってもらい、このチームを好きになってほしかった。もしここでつまらないサッカーを見せたら、せっかくやってきてくれた観客が2度とスタジアムに足を運ばなくなると思ったんだ。

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