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旗手怜央が川崎フロンターレで見せた濃い成長の記録。サポーターの前で見せたどの涙にも理由があった (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by Getty Images

【主力2人の移籍後、気持ちが空回りした】

 2021年を振り返る言葉はそれだけではない。

「東京五輪を経験したのもひとつですし、五輪が終わってからは少し苦しい時期も過ごしました。それを乗り越えたことで、メンタル的にもひとまわり大きくなれたんです。本当にいろいろなところで成長させてもらったシーズンでした」

 旗手が「苦しい時期」と指したのは、自身も日本代表の一員として戦った東京五輪を終えたあとのことだ。川崎は夏に三笘と田中碧がそれぞれヨーロッパのクラブに移籍。主力だった2人の離脱は、チームにとって大きな痛手だっただけでなく、旗手にとっては同世代の理解者を失うことにもなった。

「薫が夏に移籍するのは覚悟していましたけど、碧もヨーロッパへの移籍が決まり、正直、最初はチームのことが頭によぎりました。ふたりがいなくなってリーグ優勝できるのだろうかと。その次に、個人的にもクラブハウスやほかの場所も含めて、彼らとはずっと一緒に過ごしていたので、サッカーのことを話せる人がいなくなってしまうと思いました。

 特に薫とは寮も一緒で、お風呂でもよくサッカーの話をしていたので。だから、東京五輪を終えて、チームに戻ってきたときは正直、不安しかなかった。それがたぶん、リーグ戦2試合の引き分けと、(アビスパ福岡戦の)敗戦につながってしまったと思っています」

 東京五輪による中断を経て、J1が再開されると、首位を走っていた川崎は足踏みした。2試合連続引き分けという結果に終わったサンフレッチェ広島戦後(J1第25節)には、責任を感じて、思わず涙を流す姿があった。

「どこかで彼らに頼っていたところがあったんだと思います。それは僕だけでなく、チームのみんなも同じだったように思います。彼らに頼れなくなり、一人ひとりがもっと自覚を持ってやらなければいけないという思いに変わったから、また巻き返すことができた。僕自身も、それはわかっていたつもりでしたけど、いざ彼らがいなくなった時に気持ちが追いついていかなかった」

 移籍したふたりの穴を自分が埋めなければいけない。気持ちばかりが先走り、空回りした。

「今まで勝ち続けられていたのが例外だったのに、それが当たり前になってしまっていた自分がいました。(中村)憲剛さんにも『今までがあり得ないことで、勝てない時期があることが普通だ』と声を掛けてもらいました。加えて自分は、これまで主力として優勝争いをしたこともないような選手だったので、そのタイミングでインサイドハーフを任されて、自分がやらなきゃ、やらなきゃという思いばかりが先行してしまっていました。現実を受け止めきれなかったんです」

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