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サッカー天皇杯決勝はやっぱり「元日・国立」がいい? お正月の風物詩となった長い歴史 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by Getty Images

 だが、この大会は毎年開かれなかったり、学生が参加できなくなったりしたため、サッカーの全日本選手権は別に開かれるようになり、1935年の第15回大会から全日本選手権は5月か6月に開かれるようになった。この時期に開催された理由はよくわからないが、おそらく明治神宮大会や当時のトップリーグだった関東大学リーグなど他の大会の日程との関係でこの時期になったのだろう。

 その後、1941年には戦争のために大会は中止となり、復活したのは終戦後の1946年のことで、以後、やはり毎年5、6月に開催された。会場は全国各地の持ち回りで、京都市の西京極競技場や兵庫県の西宮球技場なども使われたが、時には静岡県の藤枝東高校や広島・国泰寺高校のグラウンドが使われたこともあった。1950年代、サッカーはマイナースポーツだったのだ。

 サッカー人気が高まったのは1964年の東京五輪以降だ。東京五輪で日本代表がアルゼンチンを破って準々決勝に進出して話題となり、翌1965年には初の全国リーグ「日本サッカーリーグ(JSL)」が始まった。

 天皇杯は1963年度の第43回大会から1月開催となり、決勝戦は毎年1月15日前後に行なわれることになった。会場は1964年と1965年が神戸市の王子競技場。そして、1966年と1967年は五輪会場の一つだった東京・駒沢、1968年1月の第47回(1967年度)大会からは国立競技場が会場となった。当時の国立は、野球場以外では唯一の大規模スタジアムであり、まさに「聖地」的な存在だったのだ。

【集客対策の元日開催】

 国立初年度の決勝戦は1月14日だったが、第48回(1968年度)大会の決勝戦は1969年1月1日に行なわれ、以後、元日開催が定着した。

「元日開催」のアイディアがどのように生まれたのか、今となっては真相を知ることは難しいが、きっかけは1968年1月1日に開催された「NHK杯元日サッカー」という大会だった。

「元日サッカー」ではJSL優勝の東洋工業(サンフレッチェ広島の前身)と大学選手権優勝の関西学院大学が対戦し、東洋が1-0で勝利した(ちなみに、10日後の1月11日には天皇杯が始まり、東洋と関学大は1回戦で再び顔を合わせ、この時は東洋が5-0で勝利した)。

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