サッカー天皇杯決勝はやっぱり「元日・国立」がいい? お正月の風物詩となった長い歴史
【元日開催の弊害が指摘されている】
今年の第101回天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会の決勝戦は、例年の「元日」ではなく12月19日(日)に国立競技場を舞台に行なわれる。
サッカー天皇杯は「元日・国立」開催でスポーツ界の風物詩となってきた(写真は昨年の決勝戦)この記事に関連する写真を見る カタールW杯アジア最終予選が1月下旬に予定されているので、日本代表の準備期間を設けるためだ。また、来シーズンも11月から12月にかけてW杯本大会があるので、11月の初めに決勝が行なわれるという。
元日に決勝戦を行なうことについては、Jリーグのシーズンが終わったあと、決勝進出チームのオフ入りが大幅に遅れるなどかねて弊害も指摘されているので、再来年以降の開催時期についても今年と来年の前倒し開催の結果を踏まえて、いずれ議論されるのではないだろうか。
ただ、一方で「元日開催」の伝統を守りたいという意見も根強い。
もっとも、「伝統」と言っても、天皇杯決勝が元日に行なわれるようになったのは1969年の1月1日からのことで、それ以前の開催時期はさまざまだった。
【最初は年度末に開かれていた】
今からちょうど100年前の1921年に開催された「ア式蹴球全国優勝競技会」が現在の天皇杯の第1回大会ということになるが(「天皇杯」が授与されるようになったのは1951年の第31回大会から)、この大会の決勝戦は11月27日、場所は東京の日比谷公園だった(当時、日比谷公園には陸上競技のトラックと芝生の競技場が存在していた)。
その後も全日本選手権は毎年秋か翌年の1、2月に開催された。当時の参加チームはほとんど旧制中学(現在の高校にあたる)か大学を母体に、OBも含めて結成されたチームだった。そして、日本の学校は4月入学・3月卒業だから、春に新入生を迎えてチーム作りが始まり、チームが完成するのは秋から冬になる。だから、全日本選手権が年度末に開かれるのは自然なことだった。
1924年に明治神宮外苑競技場(国立競技場の前身)が完成し、「明治神宮競技大会」という現在の国体のような大会が始まると、10月末から11月にかけて開かれるこの大会がサッカーの全日本選手権大会を兼ねることになった。
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