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大久保嘉人を変えた監督との運命的な出会い。ミーティングで「紙に書いておこうと思ったほど。そんなこと今までなかった」 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by KYODO

「あいつらが、日本人を舐めとっただけっちゃろうが」

 大久保は福岡、長崎、大阪で暮らしており、それぞれの方言が混ざった喋り方をしたが、彼らしい言葉だった。その物言いや姿勢は反発も買い、ピッチで起こしたトラブルは数知れない。ただ、彼は生き方を曲げなかったし、曲げられなかった。

「現役引退を考えとった。家族にも相談した」

 南アフリカW杯後、大久保は筆者にそう告白している。彼にとって、サッカーは一戦必勝だった。

「つまらないサッカーやったけど、勝つためにって心に決めたから関係なかった」

 そう振り返った南アフリカW杯では、ディフェンダーさながらにFWとして守備をした。サイドバックの近くまで戻り、敵選手を挟み込み、ボールを奪った。その結果、彼は燃え尽きた。全てを出し尽くし、体に力が入らなくなったと言う。

 他人がなんと言おうと、そこまで必死に戦っていた。ありあまる激情をピッチでぶつけ、勝利を、ゴールを目指す。そこに混ざりっ気はなかった。

「俺は現役生活をそんな長くやれんと思う」

 22歳当時の大久保は、そう洩らしていた。

「年をとって体がボロボロになって、帳尻あわせをしながらプレーするのもいいと思うけど、俺はムリかもね。35歳すぎても現役なんてあり得ない。そこまでサッカーはやらんね」

 全てを出し尽くす男にとって、10年後を想像することはできなかった。

 20代で燃え尽きる可能性もあったが、30代に入ってからほとんど運命的な出会いをしている。川崎での風間八宏監督との邂逅だ。

 大久保はJリーグで、ストライカーとしてのプレーよりも、フィジカルを生かしたアタッカー的な扱いを受けていたが、川崎ではゴールに近いポジションを取れるようになった。それまでは動きすぎて消耗し、ペースを上げすぎてタイミングを失い、いたずらにイライラとし、ケガも少なくなかったが、全ての歯車が合うようになった。変身を遂げたように、ゴールを量産したのだ。

「俺のやることは変わってない。調子がいいのは、周りの選手の気が利くから。パスを出したら返ってくる。だからこっちもまた出す。全員がそのリズムでプレーしている。今まではちょっとイライラしていたかな。ボールが戻ってこんから」

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