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無名で来日→まさかのブレイク。Jリーグから大出世した助っ人たち【2020年度人気記事】 (3ページ目)

  • 原山裕平●文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

 このふたりとも劣らないシンデレラストーリーを歩んだのは、京都パープルサンガでプレーしたパク・チソンだろう。

 韓国の大学に在学していた2000年に京都に加入すると、J2に降格した2001年にレギュラーに定着。豊富な運動量と高い攻撃センスを駆使し、1年でのJ1復帰に貢献した。

 翌2002年はウイングにポジションを移し、松井大輔、黒部光昭と強力な3トップを形成。同年の天皇杯優勝を置き土産に、オランダのPSVへと旅立った。

 PSVを経て加入したマンチェスター・ユナイテッドでの活躍は、周知のとおり。献身性と汎用性を武器に7シーズンに渡って主力としてプレーし、大事な試合で結果を出す勝負強さも光った。

 2000年から2011年まで名を連ねた韓国代表キャップ数は100。アジアサッカーの歴史にその名を刻む偉大なプレーヤーの原点もまた、Jリーグにあったのだ。

 コートジボワール代表に上り詰めたドゥンビアも、Jリーグからのし上がったワールドクラスのひとりだ。

 2006年、19歳の時に来日し、柏レイソルでプレー。切れのあるドリブルを駆使してガムシャラにゴールに向かうアタッカーは、一方でプレーに波があり、在籍2シーズンで主軸とはなりえなかった。

 しかし、2008年に徳島ヴォルティスにレンタル移籍すると、16試合で7得点とゴールを量産。そして同年には日本で行なわれたキリンカップでコートジボワール代表デビューを果たしている。

 6月にはスイスのヤングボーイズに移籍したことで、日本では大きなインパクトを放ったわけではない。だが、本田圭佑と同僚となったCSKAモスクワでは2度の得点王に輝き、のちにイタリアやイングランドでもプレー。2010年のワールドカップにも出場するなど、輝かしいキャリアを歩んでいる。

 ここで紹介した4人が、Jリーグ経由で世界に羽ばたいた"出世頭"だろう。変わり種では、浦和レッズでブレイクし、のちに国籍を取得したカタールで代表となったエメルソンもいる。だが、当時のルールでは資格がないとことが明らかとなり、代表での実績よりも、その騒動のほうが話題となった。

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