マラドーナの標的にされた元祖「フェノメノ」が日本にたどり着くまで

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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第14回バウド(前編)

 ブラジルのサッカー選手というと、皆さんはどんなイメージを持っているだろう。

 テクニックはすごいが、陽気でお祭り騒ぎが好きでちょっとクレイジー。そんな感じだろうか。しかし、バウド・カンディド・デ・オリベイラ・フィリョことバウドは、多くのブラジルの選手とはまったく違うキャラクターの持ち主だ。

 彼にとっては高級レストランでの食事や高級車は、何の意味もなかった。重要なのは、サッカーを研究し、若い選手たちを助け、なにより落ち着いてプレーすることだった。彼が喧嘩をしたり、問題を起こしたり、問題に巻き込まれたという話は一度も聞いたことがない。物静かで、冷静、もちろんその才能もすばらしかった。ブラジル代表で、ロナウド(インテル。レアル・マドリードなどでプレーした)が登場する以前に「フェノメノ(超常現象)」のニックネームで呼ばれていたのは、このバウドだった。

 彼は所属したすべてのチームでプレーメーカーを務めた。困ったシチュエーションに陥っても、バウドにボールを出せば、すべての問題を解決してくれた。彼が知っていたのは、ボールを持ってどうすればいいかだけではない。チーム内の込み入った問題も、彼にかかればすぐに解決された。こうしてバウドはどこに行ってもリーダーとなった。彼を獲得したチームは幸いだ。チームの導き手であり、ボールの天才、そして何より彼は若手を指導する才能があった。

ドゥンガ、ロマーリオらと1990年イタリアW杯に出場したバウド photo by Yamazoe Toshioドゥンガ、ロマーリオらと1990年イタリアW杯に出場したバウド photo by Yamazoe Toshio バウドは振る舞いだけでなく、その外見もサッカー選手らしくなかった。筋骨隆々としたプロスポーツ選手のイメージからは程遠く、小柄で華奢だった。だが、このことは彼にとってプラスに働いた。身軽なために敵の間をすり抜けることができ、悪質なファウルからも逃げることができたのだ。ポジションはボランチだが、中盤から攻め上がることもよくあり、アタッカーの役目を果たすこともあった。彼が40歳近くまで現役でいられたのも、この俊敏さによって多くのタックルを免れてきたことと無関係ではないかもしれない。

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