マラドーナの標的にされた元祖「フェノメノ」が日本にたどり着くまで (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 バウドは故郷のサンタ・カタリーナ州のフィゲイレンセという小さなクラブでキャリアをスタートし、その後グレミオに移籍。しかし彼が主に活躍したのはヨーロッパである。二度にわたるベンフィカでの所属時には、クラブをリーグ優勝に導き(1988-89、 1990-91)、リーグ最優秀選手にも輝いた。パリ・サンジェルマン(PSG)ではフランスカップを手に入れ、ここでも2度リーグ最優秀選手に選ばれた。

 ブラジル代表ではその世代の三指に入る選手とみなされていたが、これはすごいことである。なぜなら彼の世代とは、ジーコやソクラテス、ファルカンなどが活躍したあのブラジルの黄金時代だからだ。代表では不動のレギュラーで、1986年と1990年のW杯でプレー。1989年にはコパ・アメリカで優勝し、1987年にもパンアメリカンカップで金メダルを取っている。また、ソウルオリンピックでは銀メダルを勝ち取った。

 90年のイタリアW杯でブラジルは初めて3-5-2でプレーし、バウドは巧みに中盤を指揮した。しかしディエゴ・マラドーナのアルゼンチンに敗れたことで、セバスティアン・ラザロニ監督をはじめ、多くの中心選手が有罪とみなされ、代表から締め出された。もしそうでなかったら、彼は94年アメリカW杯で世界を制するメンバーのひとりとなっていただろう。

 90年のW杯では、彼がいかにブラジル代表にとって大事な選手だったかを物語るエピソードがある。ブラジルでは「洗礼水事件」と呼ばれる出来事だ。

 それはトリノで行なわれた決勝トーナメント1回戦、ブラジル対アルゼンチンの試合の最中だった。プレーが中断された時、ブラジルのDF、ブランコがベンチに飲み物を要求した。すると、近くにいたアルゼンチンのマッサーが、すかさず彼に飲料のボトルを渡してくれた。これは後にマラドーナがテレビで認めたことだが、その水には体調が悪くなるような成分が仕込まれていた。

 実際、ブランコはこの水を飲んで具合が悪くなった。親切と思って受け取ったアルゼンチンからの飲み物に、まさかそんな仕掛けがあるとはつゆほども思わなかっただろう。

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