佐藤寿人にあった幻の移籍話。「家族以外、誰にも言っていない」 (6ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 名古屋には2年間在籍し、ピッチでは思ったような結果を残せなかったが、"殻を破った"佐藤の努力もあって、観客動員数は飛躍的に向上したという。

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 そして2019年、最後のクラブとなったのは、自身の原点である千葉だった。しかし、J1昇格というミッションを果たせないまま、スパイクを脱ぐことになった。

「難しい2年だったかなと思います。兄と一緒にJ1復帰のために戦ってきましたが、兄が10年間向き合って成し遂げられなかったものは、やはり簡単ではなかったなと。

 そもそも、上げるも何も、上がるかどうかの勝負にさえたどり着かなかった。J2で一番悪い時期になってしまいましたし、立て直せないまま自分はやめる決断を下すことになってしまった。育ててくれたクラブをJ1に戻せなかったのは、やっぱり心残りですね」

 それでも、心残りはあっても、やり残したことはないという。

「プロの世界に入った時は、正直こんなに長くやれると思わなかった。引退会見でも言いましたけど、恵まれたサッカー人生だったと思います。とくに人との出会いに恵まれた、幸せな21年間でしたね」

 引退後は、指導者の道を目指すという。最大のミッションは「ストライカーを育てる」ことだ。

「いろんなカテゴリーのストライカーを見ていきたいですね。自分は選手として21年間を歩んできただけなので、まずは指導者になるための勉強をしっかりとやらないといけない。将来的に監督をやるのか、マネジメント側に行くのかはまだ決めていませんが、まずはストライカーをしっかり育てていきたい。僕はいろんな人に育ててもらって、ここまで来られた選手ですから」

 人に恵まれた21年間の、プロサッカー選手としての人生。酸いも甘いも噛み分けたその経験を、今度は伝えることが使命となる。Jリーグ史に残るレジェンドストライカーは、第二の人生でも"多くのゴール"を生み出していくはずだ。

【profile】
佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、出場機会を求めてセレッソ大阪、ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。ポジション=FW。身長170cm、体重65kg。

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