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佐藤寿人にあった幻の移籍話。「家族以外、誰にも言っていない」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 実はその年、佐藤はあるクラブからのオファーを受けていた。

「2011年のシーズンが終わった時に、ジェフ(千葉)の当時の社長がわざわざ広島まで会いに来てくれて、2012年にジェフがJ1に上がったらオファーを出すからと言われたんです。純粋にうれしかったですよ。古巣の社長直々に、戻ってきてくれと言ってくれたのは。

 そのことは家族以外、誰にも言っていないです。(兄の)勇人にも言わなかったですね。広島を離れる気持ちはなかったですけど、もしジェフが上がっていたら、真剣に考えなければいけないと思っていました」

 結果的に2012年、千葉はプレーオフで大分トリニータに敗れて昇格を逃した一方、その翌日に広島はJ1初優勝を成し遂げた。もし、千葉がJ1に復帰し、広島が優勝を逃していれば、佐藤は古巣へ復帰していたかもしれないのだ。

「さすがに優勝した次の年に移籍はできなかったですし、ジェフもJ1に戻れなかったので、オファーはありませんでした。でも、2011年の僕が懐疑的に見られていた時に、J1に上がってオファーを出したいと熱く誘ってくれた。そういう想いをもって接してくれたのは、すごくありがたかったですね」

 ちなみに、広島時代の佐藤には、ほかにもオファーがあったという。実現しそうだったのは、2010年の夏のことだ。クロアチアのディナモ・ザグレブからの誘いだった。

「僕はイタリアが好きなので、イタリアには行きたかったんですよ。セリエBのクラブでもいいから行きたかったですね。だから、ディナモからオファーがあった時、ディナモで活躍して、隣の国のイタリアに行こうと考えたこともありました。でも、その時はまだ広島で優勝してなかったですし、その少しあとくらいにケガをしてしまったので。そう考えると、僕の運命は広島にあったのかなと思います」

 減俸されながらも初優勝の立役者となった2012年。翌2013年も最終節の奇跡の逆転劇で連覇を成し遂げた。すでに30歳を超えていた佐藤だが、その時、まさにキャリアのピークを迎えていた。

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