佐藤寿人にあった幻の移籍話。「家族以外、誰にも言っていない」 (5ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 本音を言えば、広島で引退をしたかった。2005年に加入し、降格の悔しさも優勝の喜びも味わってきた。2016年に広島一筋で引退した同い年の森崎浩司の引退セレモニーを見ながら、ちょっとうらやましくさえ思った。「来年は、自分がセレモニーをやってもらえる立場になるかもしれない」と。

 一方で、「まだピッチの上で点を取りたい」という想いも湧いていた。そんな折に届いた名古屋グランパスからのオファー。「選手として必要と言ってもらえるのは幸せだな」。そう思った佐藤は、12年間在籍した広島を離れる決断を下した。

「広島が大好きで、離れたくなかったですね。ましてや、広島で引退したいと、ずっと言ってきましたから。あの時も、広島から残ってほしいと言ってもらいました。でも、戦力というよりも、これまでに残してきたものを含めたトータルの評価だったと思います。

 名古屋は純粋に戦力として見てくれた。一選手としてもう一回ピッチで勝負したいと思ったんです。あとは風間(八宏)さんの指導を受けてみたい、という気持ちもありましたね」

 名古屋での2年間は「あらためて学ぶことが多かった」と振り返る。

「今までは自分がゴールを奪う役割でしたけど、風間さんの下では、若い時は拒絶していたであろう2列目もやりました」

 一方で、ピッチ外でも佐藤は精力的に動いた。

「僕が移籍する前年に名古屋はJ2に落ちたんですが、選手とファン・サポーターの距離ができてしまったと聞きました。なので、キャプテンとして、その距離を戻す、新しいものを作るという役割も求められていました。名古屋の時はがんばらないといけないことが多かったし、無理しているところもあったと思います。

 広島時代は千葉(和彦)ちゃんが率先してやってくれましたけど、名古屋では僕が引っ張っていくしかなかった。試合に出てないのに、試合後にビブスのままスタンドに向かって盛り上げ役をやっていましたよ。『36歳にもなって、なにやってるの』って自分でも思いましたけど、殻を破ってやれることをやろうと」

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