三笘薫の「止められなかった」少年時代。相手監督もその才能に脱帽だった (3ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki

 後藤氏が三笘の印象に残ったプレーとして挙げるのが、中学3年時のクラブユース選手権、ガンバ大阪との準々決勝だ。3-4の打ち合いの末に敗戦したのだが、三笘のドリブルが冴え渡り、相手を抜きに抜いて「シュートを打ってください」と言わんばかりのラストパスでアシストした。

ジュニアユース時代から、三笘は複数を抜いてみたり、味方を使ってワンツーをしてみたりと多彩だった ⒸKAWASAKI FRONTALEジュニアユース時代から、三笘は複数を抜いてみたり、味方を使ってワンツーをしてみたりと多彩だった ⒸKAWASAKI FRONTALE「当時のガンバはタレント軍団で、クラブユース選手権で優勝したのですが、試合後に相手の監督さんが『ここまで崩されたのは、フロンターレさんが初めてですよ』と言って、薫を絶賛していたことを覚えています。『止められなかったです』って」

 ジュニアユースの最高学年ともなると、ドリブラー三笘の存在は知れ渡るようになっていた。相手は三笘のドリブルを警戒し、人数をかけて対策してくるが、「相手がふたりで来たら、引きつけておいてアウトサイドのパスでワンツーをしたり、状況を見てドリブルを仕掛けるなどのプレーの使い分けは、中3の頃にはできていた」と、後藤氏は振り返る。

 今シーズンのJリーグで三笘が見せた印象的なプレーが、左サイドをドリブルで駆け上がり、右足のアウトサイドでゴール前を横切る軌道を描くパスだ。アウトサイドはキックモーションが小さいので、守備側からすると予測しづらい。

「アウトサイドはジュニアの時から使っていましたし、キックの練習もしていました。正確に蹴ることができれば武器になるし、相手にも読まれにくいです。ジュニアユースの時は、右のアウトサイドを使ってワンツーをするプレーはよくやっていました。アウトサイドのクロスボールは、ユースの時に見たことがありますが、いまほどの精度ではなかった。おそらく大学に入って、磨いた技術だと思います」

 三笘はジュニア、ジュニアユース、ユースと、線の細さはありながらも「右肩上がりの成長を描いていた」(後藤氏)という。クラブはユース在籍時にトップへの昇格を打診したが、本人より「大学で鍛えてからにしたい」と申し出があり、クラブも承諾。向島建スカウトのサポートもあり、大学経由でのフロンターレ加入が決まった。その後の活躍は、語るまでもないだろう。

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