レノファ山口経由J1行き。個人昇格続出の「霜田塾」の実態 (4ページ目)
三幸は18年の霜田監督就任と同時に、24歳でキャプテンに抜擢された。当時、霜田監督に「なぜ、三幸をキャプテンにしたのですか?」と尋ねると「彼は理解力と発言力があり、周りに影響を与えられる選手だから」と即答されたことを覚えている。
2018年のレノファ山口。三幸秀稔、前貴之(写真前列左から1番目と2番目)、小野瀬康介、オナイウ阿道(同後列2番目と3番目)、高木大輔(同後列右端)ら、多くの選手がJ1のクラブへ移籍した 霜田監督、三幸キャプテン体制初年度は8位と躍進。19年シーズンは15位と苦しい結果となったが、三幸はリーグ戦全試合に出場するなど、ピッチ内外で中心選手として活躍した。霜田体制の2年間でほぼ全試合に出場した三幸は、19年シーズン終了後に湘南ベルマーレへの移籍を発表する。プレスリリースには、三幸らしい感性でこう書かれていた。
「霜田監督をはじめとするスタッフのみなさん、こんな生意気で未熟な僕を信じ、支えてもらい、ここまで育てていただき本当にありがとうございました。(中略)ここで学んだことを生かし必死に頑張っていきます。本当にお世話になりました。しもさん! ありがとうございました! 行ってきます!」
リリースにある「しもさん」とは、霜田監督のことである。
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