青山敏弘を救った本田圭佑という良薬。「特別なパワーをもらった」 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • (株)サンエス秋田耕二●撮影 photo by Akita Koji

―― 7月3日の天皇杯、沖縄SV戦で約半年ぶりに公式戦のピッチに立ちました。長く苦しいリハビリを乗り越えて戻ってきただけに、感慨もひとしおだったのではないかと想像していました。「ついに戻ってきたぞ!」というような。

青山 いや、正直に言うと、「戻れた」という感じはしなかったんですよね。もちろん、チームにとって重要な公式戦だということはわかっていましたけど、自分にとってはひとつ上のステージでひざの状態を確認する段階というか、公式戦という緊張感のあるなかでの確認作業というか。本格復帰への第一歩ということで起用してもらったので、感慨といったものは湧かなかったですね。

 実際、どこか無理のないようにプレーしていましたし。それは沖縄戦だけじゃなく、リーグ戦で起用してもらうようになってからも、しばらくはそうした意識を持ちながら徐々に上げてきた、という感覚ですね。

―― 3月の末、大分トリニータとの練習試合で復帰し、その頃は4月、遅くても5月の復帰を思い描いていたと思います。ところが痛みがぶり返し、復帰が遅れたと聞きました。

青山 そうですね。ただ、すんなり治るようなケガじゃないのは、僕自身がよくわかっていましたから。もちろん、気持ちの浮き沈みはあったし、全治がわからない分、もどかしさもありました。

 でも、どこかで必ずフィットしてくるというポジティブな気持ちを忘れず、リハビリに努めてきたので。だから、リバウンドがあっても「これはよくなるための過程なんだ」と自分に言い聞かせながら。調子がよくても決して無理をせず、少しずつ、本当に少しずつやってきました。

―― 城福浩監督も「よくなってきたあと、ちょっと戻ってしまって、その頃はかなり苦しい想いをしていたんじゃないかと思う」と話していました。

青山 もちろん苦しかったですけど、よくなるためには通らなければならない道だったし。もしかしたら、周りの方々に気を遣わせてしまったかもしれないですけど、周りも常にサポートしてくれて。だからこそ今、こうして戻ってこられたのかなと思います。

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