「ドクトル・カズ」森﨑和幸が振り返る名監督たちとの出会い (5ページ目)
僕自身も「中盤でしかプレーできない」という先入観がありましたけど、できたかどうかは別として、結果的にストッパーやリベロでプレーさせてもらった。僕だけではなく、他にも中盤の選手がウイングバックでプレーしたり、ときにはシャドーでもプレーした。それこそ、洋次郎が1トップで起用されたこともありましたからね。そうした既存のポジションにとらわれないことで、選手としての幅を広げてもらった。そこは、自分自身も勉強させてもらいましたよね。
―― ペトロヴィッチ監督の代名詞でもある3-4-2-1システムにおいて、ボランチの森﨑選手が最終ラインに加わってビルドアップするようになったのも、そうした考えから成り立ったプレーだったのかもしれないですね。
森﨑 ミシャによく言われていたのは、「すべての局面で、いかにして数的優位を作るか」ということでした。だから、僕が中盤から最終ラインに降りてプレーすることも、数的優位を作るということだったんです。
僕が下がることで、後ろで数的優位を作ることができますよね。ミシャのそうした考えが擦り込まれていたから、試合の中で自然と、そうした判断であり、思考が生まれたんだと思います。結局のところ、どうやったらチームがうまく回るか。どうやって相手のゴール前までボールを運んでいけばいいかを考えた末の判断であり、ポジショニングだったんですよね。
(つづく)
【profile】
森﨑和幸(もりさき・かずゆき)
1981年5月9日生まれ、広島県出身。177cm・75kg。MF。サンフレッチェ広島ユース時代にチーム初の「高校生Jリーガー」としてデビューを果たす。2000年、Jリーグ新人王を受賞。2016年には史上14人目のJ1通算400試合出場を達成する。双子の弟・浩司とともにサンフレッチェの顔として活躍。
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