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今では考えられないような超大型補強 JSLの日産はなぜ、ユース代表クラスを6人も獲得できたのか

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第13回:水沼貴史評(3)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

水沼貴史氏をはじめ、有望な新人を大量補強した日産はすかさず天皇杯優勝を飾った photo by Shinichi Yamada/AFLO水沼貴史氏をはじめ、有望な新人を大量補強した日産はすかさず天皇杯優勝を飾った photo by Shinichi Yamada/AFLOこの記事に関連する写真を見る 水沼貴史が法政大学を卒業し、日産自動車に入社した1983年、同社サッカー部は稀に見る豊作の年を迎えていた。

「そのとき、ワールドユースのメンバーが6人一緒に入ったんですよ」

 水沼が言う「6人」とは、自身の他、柱谷幸一、越田剛史、境田雅章、杉山誠、田中真二のこと。彼らは1979年にワールドユース選手権が日本で開催されたとき、日本ユース代表(20歳以下日本代表)に選ばれていた選手たちである。

 このうち、境田だけは本大会の登録メンバーには入っていないのだが、候補選手のひとりとして事前キャンプなどには参加していた。いずれにしても、同年代を代表する選手たちが6人まとめて同じチームに入ったのだから、今では考えられないような超大型補強である。

 代表活動を通じて知り合った彼らは、水沼いわく、「(大学卒業後に)『どこ行く?』って話になったとき、(他の選手も)『日産から(オファーが)来てる』って聞いて、『じゃあ、日産にしよう!』って思って入った」という。

 しかも、越田、田中、柱谷の3人は、入社時点ですでに日本代表(A代表)経験者であったうえ、前年には、ブラジル人選手のマリーニョも加わっていた。

 水沼の言葉を借りれば、「(同時期に)7人がほぼレギュラークラスっていうか、即レギュラーみたいな感じで」新たに加入した日産は、そのシーズンでいきなり天皇杯初優勝。主要3大タイトル(日本リーグ、天皇杯、JSLカップ)のひとつを初めて手にするのである。

 とはいえ、「(新加入選手のなかで)レギュラーになったのは、僕が一番遅かったんですよ」とは、水沼の回想だ。

「絶対レギュラーになれると思って入ったんだけど、入ってみたら、うまい人がいっぱいいた。それで、なかなかレギュラーを取れずにスーパーサブ的な感じで、試合に出たら点を取って、試合に出たら点を取ってっていうのを繰り返していって、完全にレギュラーになったって言えるのは、たぶん(シーズン)最後の天皇杯のときでした」

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