レオシルバは知っていた。「鹿島?ジーコがプレーしたクラブだろ」 (4ページ目)
「私はいつも、常に高い目標を置いてやってきました。なので、いつか、日本の大きなクラブでタイトルを獲りたいという気持ちはありました。その目標を達成できた自分を誇りに思っています。
でも、新潟が小さいクラブだとか、今は2部だということじゃなくて、新潟への敬意や愛情は今も変わらずあります。私がここへ来るまでの過程において、重要なクラブだったという事実は変わりませんから。たくさん面倒をみてもらいました。
だから、新潟を離れるのは心苦しいし、心が痛みました。でも、『アントラーズで優勝したい、タイトルを獲りたい』という新たな目標があったし、鹿島で結果を残したいという強い気持ちがあったので、気持ちの整理をせざるを得なかった。新潟への愛情は横へ置いています。
そして、鹿島の人たちも僕を歓迎してくれて、面倒をみてもらっています。だから、アルビレックスと同じように、鹿島にも強い愛情を抱いています」
――新潟時代に鹿島とも対戦していますが、そのときの印象は?
「正直、難しい試合が多かったですね。とにかく強かった。勝った覚えがなくて、ほとんど引き分けか負けだったように記憶しています。でも、そのとき対戦した経験があるので、鹿島の選手たちについての情報も持っていました。だから、鹿島の選手になったとき、スムーズに溶け込むことができたんだと思っています」
(つづく)
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