「ラモスの教え」。監督・永井秀樹が、
ヴェルディユースで目指すもの (5ページ目)
ゆえに、その存在は「失うことになれば、チームとして機能しなくなる」という諸刃の剣でもあった。
事実、ラモスが監督との確執により、シーズン途中で京都パープルサンガに移籍した1996年シーズンは、前年までリーグ1位、1位、2位だったチームが一気に7位まで転落。翌1997年シーズン、途中からラモスがヴェルディ復帰を果たすも、一度壊れてしまったサッカーを修復するのは難しく、ファーストステージ16位、セカンドステージ12位と惨たんたる結果に終わった。
そして、1998年シーズンを最後にラモスが現役を引退。経費削減を理由にして、カズや柱谷など高額年俸の選手がチームを去らなければいけなくなると、サッカーも、クラブも、完全に"ヴェルディらしさ"を失っていった。
「今思えば、ラモスさんは目先の勝利うんぬん以前に、『この程度のサッカーで満足していては、ヴェルディに未来はない』という危機感を常に抱いていたように思う。『理想のサッカーを追求し続けない限り、真のチャンピオンチームにはなれない。メンバーが代わっても、勝ち続けることができるようなチームになってほしい』と誰よりも願っていたからね。当時、ラモスさんの意見を真摯に受け止める人がいれば、ヴェルディは今、まったく違う歴史を刻んでいたかもしれない」
ヴェルディが輝いていた時代から20年以上の時が経った今、永井はある意味で、かつてラモスが思い描いていた理想の実現を目指していると言えるかもしれない。
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