セレッソ大阪、ルヴァンカップ優勝。
初の戴冠に至る「ふたつの伏線」 (6ページ目)
そして笑顔の指揮官は、この勝利の裏にあった、もうひとつの伏線を明かす。
「川崎と言えば、17年前のことを思い出す。優勝を目の前にしながら逃したことは、記憶に残っている」
17年前の2000年、セレッソはJ1ファーストステージ最終節を前に、首位に立っていた。最終節で勝てば、もちろん初優勝。ところが、延長戦の末に1-2で敗れ、指先に触れかけていたタイトルを横浜F・マリノスにさらわれた(当時のJリーグは延長Vゴール方式が採用されていた)。そのとき、背番号6を背負ってピッチに立っていたのが尹晶煥監督であり、苦杯をなめさせられた相手が川崎だったのだ。
「17年経って、やり返すことができた。歴史は結果を出すことで書き換えられる。今日の勝利でセレッソの新しい歴史が書き加えられた」
1カ月越しの、そして17年越しのリベンジは、長い負の歴史のピリオドであると同時に、新たな歴史のスタートでもある。
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