永井秀樹ユース監督は伝えた。
「みんながヴェルディの歴史を創るんだ」 (6ページ目)
――ただ、「0対15になるようなチャレンジ、荒療治ができるのは永井秀樹だから」と思った。ユースとはいえ、普通の監督ではできないのではないか。
「どうかな(笑)。トップチームだったらクビだよね。サポーターにバスを囲まれて帰れなくなる(笑)。真意は、今は誰もわからなくていいと思っている。周りからは『ユースの監督、ほんとに永井で大丈夫か!?』くらいに思われていていい。現役の頃も何かと批判され続けてきたサッカー人生だからね(笑)」
永井のヴェルディ再建は始まったばかり。日々、表情にあどけなさを残す10代の名もなき選手たちと向き合い、どうすればうまくできるか、どうしたら少しでも成長できるかを模索し、四六時中、そのことばかり考えている。
グラウンドを見つめながら、ヴェルディの再建について語る永井秀樹 インタビューを終えると、永井はクラブハウスの食堂からグラウンドを眺めた。永井が初めてこの場所に来たのは、35年前の1982年。第6回全日本少年サッカー大会に大分県代表として出場したときだ。小学6年生だった。
当時、よみうりランドは全日本少年サッカー大会の会場で、サッカー少年にとっては"聖地"だった。
「そう考えると、今自分がこの場所で指導者をしていることは、感慨深いものがあるよね」
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