「フジタ」撤退から激動の10年。
それでもベルマーレは消滅しなかった
短期連載・Jリーグ25年目の「希望」
ベルマーレに『フジタ』が戻ってきた(2)
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1998年は光と影が交錯した年だった。
6月、日本代表がW杯に初めて出場する。結果は3戦全敗だったが、日本サッカー史に輝かしい1ページが加えられた記念すべき瞬間だった。
ベルマーレ平塚からも中田英寿、小島伸幸、呂比須ワグナー、それに洪明甫(ホン・ミョンボ/韓国代表)の4人がW杯の舞台に立った。大会終了後には、中田がイタリアへ渡る。戦力的には痛手だったに違いないが、W杯と日本代表の盛り上がりの中、チームも、サポーターも、誇らしさとともに彼を送り出した。
しかし――その秋、暗転する。
悲劇の第一報がもたらされたのは、フィリップ・トルシエ新監督の初采配、エジプト戦の夜だった。
<横浜フリューゲルス消滅。マリノスとの合併>
バブル崩壊の余波が、親会社のひとつである佐藤工業の経営を圧迫。リストラの矛先はサッカーチームにも及んだのである。
Jリーグ創設から6年目。クラブ数は当初の10から18へと順調に増えていた。さらに全国各地に「Jリーグを目指すクラブ」も続々誕生。草創期の猛烈なブームこそ去ったものの、"地域密着"を謳(うた)い、"企業スポーツからの脱却"を掲げるJリーグの活動は成功裡に進んでいるように見えた。
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