J2ベルマーレのスポンサーに
戻ってきた「フジタ」の偉大なる過去 (3ページ目)
1972年、勇躍日本リーグ入りした藤和不動産だったが、前期は未勝利に終わる(2分5敗)。しかし、進取の精神に富むチームはただでは転ばない。ブラジルの名門、コリンチャンスから"元プロ"を獲得したのだ。あのセルジオ越後である。
まだアマチュアリズムの強かった時代。日本サッカー界に初めて"元プロ"を導入したのは、藤和不動産だった(結果、翌年には日本サッカー協会が新たな規定を作ることになる)。
その翌年には、後にベルマーレの監督を務める古前田充など大学から有力新人も獲得。チームの強化に拍車がかかり始める。
1975年に天皇杯で決勝進出(決勝で日立に敗れる)。1976年は天皇杯で4強入りし、日本リーグで3位となった。この時点でまだ創部から8年。にもかかわらず、強豪の一角を占めるまでに成長を遂げたのだった。
この間の1975年には、チームをフジタ工業へ移管。「藤和不動産」単独ではなく、「フジタグループ」全体での支援体制となり、より手厚さを増した。
このとき、練習場も栃木県から社有のグランドがあった神奈川県平塚市へ移転。これが現在のホームタウンとの縁の始まりとなるのである。
そしてこのあと、黄金時代が到来する。
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