J2ベルマーレのスポンサーに
戻ってきた「フジタ」の偉大なる過去 (2ページ目)
産声を上げたのは1968年。フジタのグループ会社「藤和不動産サッカー部」として栃木県那須町に誕生した。これが、ベルマーレの源流である。
この藤和不動産、その第一歩から先駆的だった。まず経営する遊園地の那須ハイランドパーク内に専用練習グラウンドはもちろん、合宿施設などを整備。ヨーロッパのサッカークラブをモデルに環境を整えた。
監督には当時日本リーグの王者だった東洋工業でプレーし、その後指導者となった黒木芳彦。さらにコーチには、同じく東洋工業から元日本代表の石井義信を迎えてチーム作りを始めたのである。
当然、強かった。最初のシーズンで栃木県リーグ4部を全勝優勝。翌年には飛び級した県1部リーグでやはり優勝した。そして創部3年目で関東リーグ2位となり、その翌年には関東リーグと全国社会人大会を制して、日本リーグ入りを果たしてしまうのである。
創部からわずか4年。もちろんノンストップのスピード昇格であった。
こうした急進的なチーム作りが可能だったのは、社長の藤田正明の存在が大きかったようだ。広島修道高校、早稲田大学と選手として活躍した藤田の知見と思い入れがあったからこそ、先駆的な環境整備も、急進的な強化も可能だったのだ。
2 / 8