福田正博が考える、「第2の久保建英」が
日本サッカー界に現れる条件 (5ページ目)
昔とは異なり、今は小学校に入る前からスクールに通ってサッカーを習う子どももいる。そこでは、学校教育と同じように、トレーニングメニューについてこられない選手を作らないようにする練習に身を置くことになる。その中から優秀な子どもたちがプロ選手としての道を歩んでいくことになるのだが、どうしても「ファウルをするのはいけないこと」と教えられる「日本人的な感覚」が刷り込まれてしまうのは避けようがない。
サッカーという競技は、チームスポーツではあるものの、個の力も重視される。それはつまり、自由で柔軟な発想のもとで生まれる「型破りなプレー」や、ときには「相手の裏をかくプレー」が必要になるということだ。
しかし、現在の日本では、そうした規格外の選手、型破りな選手の能力を伸ばす土壌が、まだまだ不十分だと私は思っている。日本サッカーの明るい未来のためにも、国内で久保くんのような才能が育つ環境を築いていく必要があるだろう。
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