福田正博が考える、「第2の久保建英」が
日本サッカー界に現れる条件 (4ページ目)
日本サッカー界は、これまで育成システムに力を入れて発展を遂げてきたが、まだ途上にあり、課題も数多くある。その障壁のひとつといえるのが、サッカーを「教育の一環」として捉える考えが根強いことだ。
強化という観点から考えると、教育の一環としてとらえることは、グローバル・スポーツであるサッカーにおいては、マイナス要素になる側面があることは否定できない。
たとえば、ブラジルサッカーには「マリーシア」という言葉がある。日本語で「ズル賢い」という解釈をする人が多いが、私自身は、試合展開の中で状況を見極めた上で勝利するために「賢くプレーすること」だと考えている。
ブラジルの選手たちが戦況を見極めながら瞬時の判断でマリーシアを実践できるのは、子どもの頃からファウルをしてでも相手を止めることを、テクニックとして磨いているからだ。なにも、審判にバレないようにファウルをすることをマリーシアと言うわけではない。
しかし、日本サッカーの指導では「ファウルはしてはいけないこと」として教えられることがほとんどだ。そのため、ときにはわざとファウルをして相手の攻撃の流れを断ち切り、「賢く戦う」判断や戦術が磨かれることはあまりないといえる。日本人同士の対戦なら問題は目に見えないが、欧州や南米のチームと対戦した時、そうした判断基準の違いが、弱点にもネックにもなってしまいかねない。
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