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【育将・今西和男】今西-恩田-宮田、
FC岐阜の歴史がつながった瞬間 (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko


 しかし、宮田社長は悠然と姿を現し、今西とも約30分の会談も持って、じっくりと話し合った。真実に迫ろうとする見識と正しいと思うことを真っ直ぐに進める勇気のある人だと思った。それは、その後の行動を見てもさらに感じられた。宮田社長はそれまでどんなに結果が出なくてもアンタッチャブルと言われていたラモス監督の交代の英断を下した。それがいかに重要で困難なことであったのかは、恩田氏のブログでも垣間見られる。

「宮田社長の英断と胆力に敬意を表します」

 それぞれ、経営者としての性格も背景も異なるが、今西、恩田、宮田というFC岐阜の大きな意志がこの日、初めて交わった。自立した経営者としてサッカー以外のしがらみから距離を置き、プロクラブのリーダーとして断を下す。宮田社長のFC岐阜に心から期待したい。

【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高-東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、同校サッカー部総監督を務める。

      

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