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甲斐修侍と歩んだフットサルの歴史
「教科書も何もなかった」 (4ページ目)

  • 河合拓●取材・文 text by Kawai Taku
  • 高須力●撮影 photo by Takasu Tsutomu

―― チームメイトたちが次々とフットサル日本代表に選ばれていくなか、不思議とそこに甲斐の名前が入ることはなかった。当時カスカヴェウでは、 「日本代表に選出された選手vsそれ以外の選手たち」で紅白戦をやっていたが、そのころ在籍していた選手によれば、日本代表に選出されていない選手たちの チームは内容でも、結果でも、互角以上の戦いを繰り広げていたという。

そのときの甲斐は、「それ以外の選手」のチームでプレーしていた。人気・実力を兼ね備えていた甲斐の代表招集を周囲は期待し、甲斐自身も「どうして日本代 表に選出されないの?」という率直な疑問を投げかけられることも少なくなかったという。このフットサル史に残る謎を、甲斐自身はどのように受け止めている のか――。

 カスカヴェウのチームメイトたちは日本代表に選ばれたけど、そこに俺は欲がなかった。もちろん、当時も呼ばれたら候補合宿には 行っていたし、目指していなかったわけではありませんけどね。ただそれ以上に、チーム(カスカヴェウ)が強くなること、自分たちが目指すフットサルを極めて勝つことに何よりも貪欲だったと思います。1998年に初めてブラジルに行ってから「チームを強くしたい」という一心で、何十万もかけて毎年チームでブ ラジル遠征していたくらいですから。

 個人的な感情としては、代表に選ばれない不安、悔しさがまったくなかったわけではありません。ただ、ブラジル遠征で対戦相手からオファーをもらったりしていたので、「代表に選ばれなくても本場ブラジルのプロチームから誘ってもらえるなら大丈夫」と、気持 ちに整理をつけていたかもしれません。

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