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甲斐修侍と歩んだフットサルの歴史
「教科書も何もなかった」 (2ページ目)

  • 河合拓●取材・文 text by Kawai Taku
  • 高須力●撮影 photo by Takasu Tsutomu

 そんな状況だったので、「本場のフットサルを体感したい」と思い、1998年に初めてブラジルに行きました。そして、とてつもない事実をそこで知ったんです。

  現地でプロチームと試合をして、その映像を撮ってきたのですが、帰国してビデオを見たとき、「これ、何か法則的な動きをしている?」「もしかして、こうい うふうに崩されて点を獲られたのは、4人全員がわかってやっているんじゃないの?」と思ったんです。試合をしている最中は、対戦相手のブラジル人に何をや られていたのか、まったく気づかなかった。そう、フタを開けてみたら、それは全部、ジョガーダ(戦術パターン)でした。

 ブラジルでプロ チームと試合をしたとき、俺たちは自分の持っているサッカーのスキルと、フットサルを始めてからちょっとだけやったボールコントロールを駆使してプレーし ていました。ところがブラジル人に、2人どころか3人、4人が絡んだ戦術をやられていたことに気がついて、「これはヤバい。フットサルはとんでもない世界 だな」と思うようになりましたね。その当時、俺は24歳でサッカー選手としての自分に見切りをつけていたから、それからはフットサルで頭のなかが一杯にな りました。

―― ブラジルから帰国した甲斐は、1999年にカスカヴェウ(現ペスカドーラ町田)を創設。その翌年の2000年には、民間 リーグである「スーパーリーグ」を立ち上げた。今でこそ、日本には「Fリーグ」という全国リーグがあるが、当時はまだ全国リーグはおろか、各地域リーグも 存在していなかった。甲斐は選手でありながら、スーパーリーグの代表となり、「フットサルのレベルを高めたい」という志(こころざし)を持つチームと競い 合える環境を作っていった。

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