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【育将・今西和男】片野坂知宏「最初の言葉は『感謝をしなさい』でした」 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Kyodo News

 入社して今西が片野坂に最初に言ったのが、「感謝をしなさい」ということであった。まず、育ててくれた親に対して。そして、サッカーを教えてくれた今までの指導者の先生に対して。そういう人たちのおかげで、今サッカーができることに感謝しなさいと説いた。

「それから、たとえサッカーをやめた後でも、そのまま会社に残って仕事ができるように、今から考えて生活をしなさいと。僕はまだサッカーで成功するかどうかもわからない新卒の一年生ですし、本当にそこは大事だと思いました」

 研修ではデスクワークだけではなく、クルマを製造する現場での作業も学ばされた。塗装、板金、タイヤ交換……、突然大きなケガなどをして現役を辞めざるをえなくなっても、いろいろな職場で対応できるようにしておけという今西の指示だった。さらに初日の仕事が終わると、「社会人として仕事をして」というテーマでレポートを提出するように言われた。配属された部署はサッカー部の先輩である横内昭展(あきのぶ)、前川和也と同じセクションで、片野坂は遮二無二社業にも励んだ。実直な性格はここで培養された。

「今思うと、高卒一年目の新人に対する教育という部分で、非常に重要なことを教えられたと思います」

 基礎をしっかり作るという教育方針では、サッカー選手に対する育て方も同様だった。いきなりJSLでデビューということではなく、最初はマツダのサテライトにあたるマツダSC東洋(当時は地方リーグの中国リーグに所属)でプレーをするように言われた。フィジカルを鍛えて社会人のレベルに慣れてからトップチームで出場させようという意図であった。この辺りは今西が東洋工業のマンモス寮の寮監時代に、何千人もの10代の新入社員たちと向き合ったことで蓄積した経験が活かされている。まず自分の将来をしっかりと認識させること、その将来に向けての努力の仕方を具体的に教えて、最後は不安を払拭させて、自信を持たせるのである。特に片野坂の場合は第一志望が大学であったために、余計に今西は今の環境を前向きに捉えるように気を遣ったという。

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