ふたりの漫画家がW杯で目撃した「日本人らしい」サポーターとは? (4ページ目)
ヤマザキ あと今回見ていて思ったのは、これは完全にテレビに映ることを優先している人がいるなあということ。早くに会場にきて、応援する人にカメラが回ってくるのを構えているような意識丸見えの人達もいたので、「へえ」と思いました。
サッカーの選手達という主人公のいる場所へ赴くのに、テレビに映るかどうかなんて通常はあまり考えないじゃないですか。考えるゆとりがないというか。だから、私が思っていた以上にサッカーの試合というのは、参加する応援の人達にとっても多元的なものに進化しているんだなあと。
とり・みき それはまあ、外国のサポーターにもいますけどね。
ヤマザキ 純粋に応援しようという思いで行くと、テレビに映るかどうかなんて考えないじゃないですか。だから、この人たちはそんなところまで気が回るんだ、と思いながら見ていました。
とり・みき 私は唐草(模様の風呂敷)を羽織っていましたから、あまりそういうことは言えませんが(笑)。
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ヤマザキ 応援には、やはり自然と国民性が表れますね。
とり・みき 国民性でそれぞれ、自然にそういう形になっていく。
ヤマザキ なので、そこで「欧米的な応援を目指しましょう」というのは間違いではあると思います。日本人はイタリア人やブラジル人みたいな応援は本能的にやりたいとも思わなければ、同時にできないでしょうし、外国人のほうも、日本のサポーターはこういうものだと認めて見ているわけだから。
とり・みき 統制のとれた応援に身を任すのも、結局それが日本人にはいちばんあってるということなのかなあ......。ワールドカップはやっぱり世界規模のお祭りなので、試合が終わった後の酒場や街中での楽しみ方も、外国から来ている人たちはよく知っていますよね。
ヤマザキ 要所要所で自由に心休まる場所を見つけて、適応していきますね。
とり・みき 日本人は弾丸ツアーで来て、日本の試合が終わったらとっとと帰っていく。
ヤマザキ それは残念ですよね。他の国同士の試合も見てみたり、サッカーとは関係のない事にも時間が割けられればいいのに。
とり・みき せいぜい、ツアーオプションの店に連れていかれてご飯を食べるくらい。
ヤマザキ ワールドカップって世界のあり方を楽しむ絶好の機会じゃないですか。こんなにいろんな国の人が集まってきていて、たとえ双方にどんな歴史の過去があろうともそんなのお構いなしに肩を並べて座って、大声出し合って、立ったり座ったり、一緒に写真に写り込んだりして。
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