松田直樹はなぜ今も後輩たちに影響を与えているのか
1月12日、「新春ドリームマッチ群馬2014 ‐remember 松田直樹‐」が、群馬県の正田醤油スタジアム群馬で開催された。日本サッカーの歴史に鮮烈な足跡を残した男の功績を語り継いでいく大会には、中田英寿、名波浩、小笠原満男、田中誠、戸田和幸、田中隼磨、吉田孝行ら、生前親交のあった選手や元選手が多数集結している。「JAPAN DREAMS」の指揮を取ったのは岡田武史監督という豪華さだった。
松田直樹に捧げられた幕をバックにプレイする中澤佑二(横浜F・マリノス) 2011年8月に34歳の若さで急逝した松田は、Jリーグ20年の歴史の中でも最高のディフェンダーの一人である。キャリアのハイライトは、96年アトランタ五輪での「マイアミの奇跡」、2000年シドニー五輪ベスト8、2002年日韓W杯ベスト16だろうか。また、所属先の横浜F・マリノスでは03,04年にJリーグ連覇、Jリーグベストイレブンを2度受賞している。
しかし、そんな記録には残らない記憶を彼は残した。
松田は悪態をつくこともあったが、どこか憎めず、多くの人々に深く愛された。その理由は、根底にあるその人生観にあった。
「サッカーは11人でやる。仲間がいなければ成り立たない。最高の仲間がいれば、どこにも負けないんだよ」
松田のこの言葉は、彼の流儀と同義だった。
彼にとっての仲間は、"仲良し"ではない。ライバルというのも少し違う。同志と呼ぶべきだろうか。そこに一切のなれ合いや妥協はない。松田は道を切り開くことで尊敬を集める存在になったが、肝腎なのは、彼が虚栄心で先頭に立ったのではなく、"がむしゃらに前進した結果、英雄視されていた"ということだろう。彼にとって、サッカーは一歩ずつ前に歩む人生そのものだった。
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