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【Jリーグ】2012年シーズン、「王者」鹿島はなぜ低迷したのか (2ページ目)

  • 内田知宏(報知新聞社)●文 text by Uchida Tomohiro(The Hochi Shimbun)
  • 山添敏央●撮影 photo by Yamazoe Toshio

 そして、トレーニング方法に逆行するようなメンバー編成も、低空飛行の要因になった。流動的な中盤を支えていた野沢拓也がヴィッセル神戸に移籍。2列目は、シーズン途中から加入したドゥトラと、プロ6年目の遠藤康が務めた。ドゥトラの持ち味は、ドリブルによる推進力。パスを回しながら、相手の穴を作り出す伝統のポゼッションサッカーは、カウンター主体に変わった。

 カウンター攻撃は上下動が激しく、体力が消耗しやすい。ボールの失い方が悪ければ、失点のリスクが生まれる。安定しそうで、安定しないのがカウンターである。鹿島の場合、メンバー構成、トレーニング方法、試合で見せるサッカーのどれもがかみ合わない、という現象が起こってしまった。

 そのため、試合終盤、敗戦を引き分けに、引き分けを勝利に持ち込むという鹿島のお家芸とも言える怒とうの攻撃は、1年間を通じてほとんど見ることができなかった。その体力が残されていなかったし、そのサッカーができる選手もそろっていなかった。結果、白星と黒星が並ぶオセロのような戦績を連ねることになった。

 ただ、すべてジョルジーニョ監督の責任か、と言われれば、それは違う。選手編成は、フロント主導で行なった。もちろん選手たちも「結果を出せないのは選手の責任」と言う。まして1年で結果を出せるほど、サッカーは簡単なスポーツではない。タラ、レバになるが、家族の問題で契約延長オファーを断ったジョルジーニョ監督が、もし2年目の指揮を執るようなことがあったならば、間違いなく修正できたと感じる部分もあった。

 ダッシュ中心のフィジカルトレーニングが合ったベテランの小笠原満男は、完全によみがえった。東日本大震災の影響で練習量が減った2011年は当たり負けするシーンが目立っていたが、昨年は筋力トレーニングで体を再構築し、ダッシュでキレを取り戻すことができた。素早く間合いを詰め、ボールを奪い切る。相手の寄せに負けず、パスを出す。本来の姿があった。

 FWの大迫勇也はポストプレイで相手を寄せつけない体を手に入れた。監督の「FWだからシュートをどんどん打て! 外しても気にするな」と言う言葉に背中を押され、ストライカーとして大きく進化した。若手期待のMF柴崎岳もまた、順調にステップアップの階段を上って、サイドバックの西大伍も成長した。ブラジル代表で右サイドバックを務めたジョルジーニョ監督から指導を受けた1年は、決して無駄ではなかったはずだ。

 誰が指揮しても、編成しても、難しい世代交代の時期。さらに、すべてがかみ合わなかったシーズン。その結果が、リーグ戦11位という成績に表れたものの、一方でナビスコ杯優勝、天皇杯4強という成績を残し、改めて鹿島の強さを知ったシーズンだったとも言えるかもしれない。

 それだけに、小笠原は2012年シーズンを振り返って、こう語った。
「『悔しい』のひと言に尽きるシーズンだった」

 その言葉が、チームの思いを代弁していた。

(つづく)

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