【サッカー事件簿】ドイツワールドカップ、川口能活が振り返るオーストラリア戦での誤算 「調子がいいので『いける』と...」 (4ページ目)
とりわけ記憶に残っているのは、2004年のアジアカップだ。PK戦にもつれた準々決勝のヨルダン戦では味方がふたり失敗して絶体絶命のピンチに陥ったが、川口の2本のセーブなどでヨルダンが4連続失敗。奇跡の勝利を飾った。続く準決勝のバーレーン戦でも、遠藤保仁が退場。厳しい戦いを強いられたが、土壇場で追いついて延長戦の末に逆転勝利を決めた。
決勝では、開催国・中国の観衆から大ブーイングを浴びせられた。完全アウェーの状態だったが、3-1で快勝して頂点に立った。
「あのときは『絶対に勝つんだ』とみんな、最後まであきらめなかったですし、団結して戦った。だから、結果がついてきたんです。
ワールドカップでは、そのときのメンタルの強さを発揮することができなかった。それはなぜなのか――。大会が終わるまで、わからなかった」
1-1となった試合は、後半44分に再びケーヒルがゴールを決めてオーストラリアが逆転。さらに、アディショナルタイムに途中出場のFWジョン・アロイージが3点目をゲット。日本は1-3で敗れて、大事な初戦を落とした。
(文中敬称略/つづく)◆ドイツW杯、中田英寿がブラジル戦の前日に行なったシュート練習>>
川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975年8月15日生まれ。静岡県出身。清水市商高を卒業後、1994年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入。2年目にはレギュラーとなり、チームのJリーグ初制覇に貢献した。2001年にはイングランド2部のポーツマス入り。日本人GKとして初の欧州移籍を果たす。2003年からはデンマークのノアシェランでプレー。2005年に帰国し、ジュビロ磐田へ移籍。その後、J2のFC岐阜、J3のSC相模原でプレー。2018年シーズンを最後に、現役を引退した。その間、年代別代表、日本代表でも活躍。1996年アトランタ五輪に出場。ワールドカップには、1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会と4大会でメンバー入り。国際Aマッチ116試合出場。
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