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サッカー日本代表とインドネシアの対戦の歴史 36年前に泥だらけのピッチでワールドカップ出場を争ったことも (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【1989年。泥だらけのW杯予選】

 20世紀最後の対戦となった1989年6月11日のホームゲームは東京都北区の西が丘サッカー場で行なわれた。現在は「味の素フィールド西が丘」と呼ばれ、WEリーグの日テレ・東京ベレーザのホームとなっており、大学リーグや関東リーグ、高校サッカーなどで使用されることが多い小さなスタジアムだ。

 1972年に東京で初のサッカー専用スタジアムとして完成。1989年当時の収容力は約1万人だった。

 なぜ、W杯予選がそんな小さなスタジアムで行なわれたのか?

 Jリーグ開幕のわずか4年前、代表人気はそんなものだったのだ。1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得して以来、一度もW杯や五輪予選を突破できずに低迷していたのだから無理もない。

 前週6月4日に日本が2対1で逆転勝利した北朝鮮戦は国立競技場で行なわれ、3万5000人が集まったが、かなりの部分は在日朝鮮人の観客だった。そして、西が丘でのインドネシア戦では、その小さな西が丘も満員にならなかった。

 JFAは「9000人」と発表したが、実際はもっと少なかったはずだ(Jリーグ開幕前は実数発表なし)。5月にジャカルタで行なわれたアウェー戦はスナヤン・スタジアムに8万人を集めて行なわれたのだからまことに恥ずかしい数字だった。

 ちなみに、1週間後の香港戦は神戸ユニバー記念競技場で行なわれ、観衆は2万8000人。スコアレスドローに終わった。

 さて、西が丘でのインドネシア戦は雨のせいでピッチは泥沼状態だった。

 当時の日本のスタジアム事情は非常に貧弱なもので、初夏に植え替えられた夏芝は冬になると枯れて白く変色。そして、日本サッカーリーグ(JSL)や大学リーグ、高校選手権などで酷使された西が丘の芝は禿げあがってしまっていた。

 そこに、雨が降ったものだからピッチは泥だらけ。選手たちのユニフォームはたちまち真っ黒になってしまった。

 日本代表は15分にDFの堀池巧が先制し、その後も得点を重ねて5対0で大勝したのだが、インドネシア側からピッチコンディションについて苦情を言われる始末だった。

 日本のピッチコンディションの悪さのせいで、相手チームのテクニックが封じられ、それが日本に有利に働くこともあった。

 1961年11月にチリW杯予選大陸間プレーオフの韓国戦(ソウル)の帰りに日本に立ち寄ったユーゴスラビア代表が国立競技場で日本代表と対戦したことがあり、日本は0対1と善戦したのだが、ユーゴの監督は「こんな芝生のないピッチで試合をしたことがない」と苦言を呈した。

 Jリーグが開幕してから、日本のスタジアムは急速に改良された。

 フィールドは地盤から整備し直され、夏芝と冬芝を使い分けて一年中緑の芝生が維持されるようになり、21世紀に入ると日本のスタジアムのピッチは世界のどこと比べても遜色ないものとなった。

 そうなると、それまでとは逆に国内のすばらしいピッチに慣れた日本の選手たちがアウェー戦でピッチコンディションに悩まされる事態となった。当時、アウェー戦を報じる記事には「劣悪なピッチコンディション」というフレーズが頻繁に使用された。

 たとえば、2001年3月のフランス戦。日本の選手たちはスタッド・ド・フランスの緩いピッチに足を取られ、まともにプレーできたのは中田英寿だけだった。

 もっとも、最近は日本選手のレベルがさらに上がり、また海外でプレーする選手が増えたおかげで悪コンディションも苦にせずにプレーできるようになった。そのため「劣悪なピッチコンディション」はすっかり死語となった。

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