サッカー日本代表とインドネシアの対戦の歴史 36年前に泥だらけのピッチでワールドカップ出場を争ったことも (4ページ目)
【幻となった日本のW杯初出場】
その後、1936年のベルリン五輪で強豪スウェーデンに逆転勝ちという殊勲の星をあげた日本は、1938年にフランスで開催されるW杯に初めてエントリーした。そして、アジアから日本以外に唯一エントリーしたのが蘭印だった。
蘭印とのW杯予選は1938年1月に中立地、中国の上海で行なわれることが決まっていた。1934年に大敗を喫したとはいえ、その後の試合で蘭印はフィリピンに敗れていた(日本はフィリピンに勝利)。1936年のベルリン五輪で活躍したことを考えても、日本が蘭印に勝利してW杯出場権を獲得する可能性は大きかった。
だが、1937年7月に北京近郊の盧溝橋で日本軍と中国軍が小競り合いを始めた。戦火はたちまち拡大。翌月には第2次上海事変が発生。日中戦争が始まったため上海での試合は開催不可能となり、結局、日本が棄権。1938年には1940年に東京での開催が決まっていた夏季五輪の開催も返上することになってしまう。
なお、日本の棄権を受けて蘭印はW杯に参加したが、1回戦でハンガリーに0対6と大敗した。
戦争の勃発のために1938年フランスW杯出場の機会を逃した日本のサッカーは、その後の戦争を経て弱体化。初めてのW杯出場は60年後に奇しくも同じフランスで開催された1998年大会まで持ち越しとなってしまった。
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著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2025年、生涯観戦試合数は7500試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。
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