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青山敏弘は岡崎慎司に言われてハッとした 「もっと無理をすればよかった」という想い (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【運命を変えた県大会決勝「幻のゴール」】

 引退セレモニーの時、スキッベ監督は2025年から青山がコーチに就任することをサプライズで発表した。サンフレッチェ広島の歴史の生き証人とも言える青山は、これからも新たな立場でクラブの発展に携わっていくことになった。

「これからのことだから、どうなるかはわからないけど、スキッベ監督は自分が選手のうちに、サッカーってこういうものだよ、こうじゃないと勝てないよってものを、バチッと提示してくれた。だから彼らは試合に出られるし、だから自分は試合に出られなかった。

 そこは長く広島にいさせてもらったからこそ、理解できたこと。この3年間はそのためにやってきたのかなって。むしろ、これからのことを思えば、一番必要な3年間だったんじゃないですかね」

 度重なる大ケガ、涙のJ2降格、五輪メンバーからの落選......。振り返れば試練の連続だった。しかし、その試練を成長の糧にできるのが、青山の最大の強みだったように思う。

 その最たる出来事は、作陽高校時代の「幻のゴール」だろう。岡山県大会決勝で突き刺した鮮やかな決勝ゴールが認められず、結果的に試合に敗れてしまう。そんな悲劇など、とうてい味わうことはできない。

「たしかにあれが、自分の運命を大きく変えてくれました。あの出来事で注目されたから、U-18代表に呼んでもらえたし、そこから広島の練習にも参加できて、プロになれた。もうすべてはあそこからですね。試練をどうやって乗り越えたかは自分ではわからないけど、周りがそういうのを背負わしてくれたんだなと」

 そして「あの出来事があったから、プロに入って何度も立ち上がれる強い気持ちを培うことができました」と引退セレモニーで自ら話したように、稀有なあの経験が21年間、戦い続けてこられた原動力だろう。

「この前もカズさん(森﨑和幸)に言われたんですけど、1、2年目にケガをして、だいたいの選手はそこで終わるけど、そこから上がってきたのは本当にすごいことだって。たしかに新人の選手がまったくピッチに立てずに3年目まで来て、そこから上がっていくのはなかなかないことかなって。

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