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青山敏弘は岡崎慎司に言われてハッとした 「もっと無理をすればよかった」という想い (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【スキッベ監督との出会いにも感謝】

 その後、森保監督が就任した日本代表にも招集された青山は2019年のアジアカップに出場したものの、ケガにより大会途中で離脱。この大会が最後の日本代表となった。

 代表からは離れたとはいえ、青山はクラブでは主力であり続けた。ところが2022年、ミヒャエル・スキッベ監督が就任すると、出場機会が激減する。その年こそリーグ戦15試合に出場したが、翌年は5試合、そして現役最後の年はわずか3試合の出場にとどまった。

 試合に出られない日々を過ごすなかで、青山のなかにはふたつの感情が芽生えていた。

「それでいいと思う自分がいる一方で、また復活できるって期待している自分もいて。どこかでまたググっと上げられるんじゃないかなって、その時をずっと待っていました。でも、その時はやってこなかった。奇跡は起こらなかったですね......」

 高い強度を求められるスキッベ監督のサッカーは、すでに35歳を超えたベテランには厳しいものだった。しかし青山は、スキッベ監督との出会いにも感謝している。

「ミシャが来た時の感覚に近いですね。スキッベさんもまず基準っていうものをしっかり提示してくれて、そこまでみんなを引き上げてくれた。自分はそこにたどり着けなかったから、試合に出られなかったわけで。

 その基準はすごく明確で、すごく高いものがあって、そこをクリアした若い選手たちがチームを引っ張った。まさにミシャが来た頃の自分たちみたいな存在が、試合に出て活躍している姿を見られたっていうのが、何よりうれしかったですね」

 クラブは生き物だ。新陳代謝を繰り返しながら、歴史を築いていく。ひとつのサイクルが終われば、また新しいサイクルが回り始める。

「2周目を経験できる選手なんて、ほとんどいないじゃないですか。1周すらできないまま終わる人もいるなかで、自分は優勝も経験できたし、2周目まで行くことができた。

 クラブの歴史を積み上げていくのは、こういうことなんだっていうのを再確認できましたね。それをプレーヤーとして経験させてもらったし、この続きをまた、コーチとして現場レベルでやっていける。こんなに幸せなことはないですよ」

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