森保ジャパンより心配なサッカーメディアの表現 遠藤航を「クローザー」と呼んでいいのか (2ページ目)
【サッカーのコンセプトを無視した報道】
サッカーにおける攻撃的、守備的とは何か。他の競技との違いは何か。サッカーの特殊性にきちんと向き合うことができずにいる報道の貧弱さが目に留まる。
日本が置かれている状況は特殊になっている。欧州から距離的に最も離れた国であるにもかかわらず、100人を超えようかという選手がそこでプレーするというアンバランスな状況がまずひとつ。次に、日本の実力とW杯出場枠の関係だ。W杯のアジア枠が8.5に増えたことで、もともと8~9割あった突破確率がさらに上昇。予選落ちの可能性は限りなくゼロになった。世界で一番、緩い環境に身を置いているという認識が、報道する側には不可欠になる。大勝しても大喜びは禁物。ドーハやジョホールバルのような感激、感動物語はもはや成立しない。
ところで最近、選手で心配になる一番手は、所属のリバプールで今季、出番が激減した遠藤航だ。ユルゲン・クロップからアルネ・スロットに監督が交代した影響をモロに受けた格好だが、こうした例はサッカー界では珍しくない。今冬の市場で移籍する流れにあると考えるのが自然である。
リバプールで出場時間が激減している日本代表のキャプテン、遠藤航 photo by Fujita Masato まさに"サッカーあるある"なのだが、こうした事態に慣れていないのか、一部のメディアは、後半アディショナルタイムに差し掛かる段階になってピッチに送り込まれる遠藤を、試合を締める「クローザー」と称し、担ごうとしている。
日本人に伝わりやすいキャッチーな表現だが、いわゆる野球用語である。昨今、ページビューを稼ぎたいばかりに平気でサッカーのコンセプトを無視する報道が目立つが、この「クローザー」はその典型になる。出場時間が2、3分では、時計の針を進めるための時間稼ぎ、あるいは移籍市場を睨んだ顔見せの交代と言ったほうがはるかに適切であるにもかかわらず、「クローザー」という非サッカー的な表現を用いて現状を美化しようとする。
10年前ならば、こうした言い回しが市民権を得ることはなかったのではないか。さすがに大手メディアは使おうとしなかった。現在もその姿勢は維持されているかに見えるが、大手メディアとそれ以外が同じ土俵に立つネットの性質上、それぞれの境界が見えにくい。日本サッカー界にとっての"木鐸(目覚めさせ、教え導く役割の人)"が霞んだ状態に陥っている。適切な表現よりキャッチーな表現が優先すれば、日本のサッカー偏差値は下がる。
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