サッカー日本代表の史上多得点記録は15点 ダブルハットトリックを決めたFWとは?

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

連載第14回 
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。日本代表の中国戦7ゴールが話題になっていますが、日本の史上最多得点記録は、1967年フィリピン戦の15点。あのレジェンドFWがダブルハットトリックを決めた試合でした。

1967年のフィリピン戦でサッカー日本代表は歴代最多得点記録の15得点。そのうち6ゴールを釜本邦茂が決めた photo by AFLO1967年のフィリピン戦でサッカー日本代表は歴代最多得点記録の15得点。そのうち6ゴールを釜本邦茂が決めた photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る

【3年前から確実に強くなっている日本代表】

 W杯アジア最終予選の初戦で、日本代表がなんと7対0というスコアで中国に圧勝した。

 30年ほど前まで日本サッカー界にとって「目の上のたんこぶ」的存在だった中国を相手にこのスコア......。まさに、"隔世の感"である。

「アジアも強くなった」とか「差は縮まっている」などと言う人もいるが、客観的に見て日本とアジアとの差はますます広がっている。

 アジアカップこそ不完全燃焼に終わったが、昨年以降、大量得点試合が続いている。W杯2次予選のミャンマー戦、シリア戦はホーム、アウェーともすべて5対0。アジア以外を相手にしても、昨年はエルサルバドル、ペルー、ドイツ、トルコ、カナダ相手にすべて4ゴール以上を奪って勝利している。

 相手との力関係に関わらず、これだけ大量得点を続けられるチームは滅多にない。

 中国戦を前に、2021年9月2日のカタールW杯最終予選のオマーン戦がしきりに取り上げられた。9月は各国リーグが開幕直後でコンディションが上がっておらず、なかには移籍したクラブでポジション争いに直面していて代表活動に集中できない選手もいた。

 そんなこんなで選手の動きが悪く、オマーンには敗れるべくして敗れた。

 あれから3年。日本代表は当時よりも格段に強くなった。

 カタールW杯終了後も森保一監督の下で継続的な強化が行なわれ、チームの完成度は上がっていた。歴代代表監督が何度トライしてもうまくいかなかった3バックと4バックの使い分けもできるようになった。

 そして、選手たちが成長した。

 今では日本人選手の多くは、欧州5大リーグの強豪も含めて各クラブで主力として活躍しているから、代表活動でチームを離れてもポジションを奪われる心配はなくなってきている。

 つい1年ほど前までは「代表定着のためには結果を出さなければ」と焦って強引なプレーをする選手が何人もいたが、今ではそんなプレーに走る選手はいない。「今夜ゴールを決められなくても、それで地位が揺らぐわけではない」。そんな落ち着きが感じられる。

 中国戦では両ウイングバックに堂安律、三笘薫を配した超攻撃的3バックだったが、選手たちはけっして攻め急がず、慎重に戦った。

 パスが滞れば躊躇なくボールをいったん最終ラインに下げて、再びサイドに展開するという作業を丁寧に繰り返し、強引に仕掛ければ突破できるような場面でも自重。相手にカウンターを許す場面はほとんどなかった。

 そうした落ち着いた試合運びができるのは、焦らずに攻めていれば必ず得点(複数得点)できるという自信のおかげなのだろう。

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プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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