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サッカー日本代表の史上多得点記録は15点 ダブルハットトリックを決めたFWとは? (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【日本代表史上最多得点記録は?】

 さて、このところ大量得点での勝利が続く日本代表。2021年3月のモンゴル戦では14得点を記録したが、日本代表史上最多得点記録は今から57年前の1967年9月に行なわれたフィリピン戦の15得点。メキシコ五輪アジア最終予選の初戦だった。

 大会は東京・国立競技場で行なわれ、日本のほか、韓国、レバノン、南ベトナム(当時)、台湾(中華民国)、フィリピンが参加した。日本の初戦がフィリピン戦だった。

 フィリピンはバスケットボールは強かったが、サッカーではずっと弱小国だった。そのフィリピンを相手に開始4分で杉山隆一が先制ゴールを決めると、その後も攻撃の手を緩めることなく15ゴールを決めて日本が大勝した。

 予選は、事実上日本と韓国の一騎討ちだった。韓国は1960年代初頭に黄金時代を迎えたが、その後低迷期に入っており、日本が有利と思われていた。だが、直接対決は壮絶な点の取り合いとなり、3対3の引き分けに終わった。

 勝点で並んだ場合には得失点差で順位が決まる。そして、韓国の最終戦の相手はフィリピンであり、韓国側は「フィリピンから18点」と豪語したが、これに反発したフィリピンがFWひとりを前に残して全員がゴール前で体を張って守った結果、韓国は5点しか決められず、日本が得失点差でメキシコ五輪出場を決めた。

 フィリピン戦の15ゴールがメキシコ五輪銅メダルにつながったのだ。

 1967年というと、僕が中学校3年生の時だった。

 1964年の東京五輪で初めてサッカーを観戦し、中学のサッカー部に入り、代表戦や日本サッカーリーグを見に行くようになったばかりだったが、あのフィリピン戦の記憶は今でも鮮やかによみがえる。

 立役者は「ダブルハットトリック」(ひとり6点)を達成した釜本邦茂だった。国際Aマッチ76試合に出場して75得点。つまり、1試合1得点のペースでゴールを量産し続けた伝説のストライカーだ。

 前線でボールを収めてタメを作ったり、反転してシュートを狙ったり、あるいはドリブルで突破してそのままゴールを決めたりとセンターフォワード(CF)に求められる仕事を完璧にこなす理想の「9番」だった。そして、左右両足とヘディングから数々のゴールを決めた。

 公称179センチだったが、実際には180センチを超えており、当時としては大型で、体幹の強さのおかげで世界的なDFと対峙しても互角に渡り合うことができた。

 釜本引退後、日本のサッカー界はずっと「第二の釜本」を追い求めてきたが、「釜本二世」はいまだに現われていない。

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