今季引退の元なでしこジャパン・鮫島彩の高校時代の本音「3日に1回は辞めたい!って思ってた」
今季引退・鮫島彩インタビュー(1)
5月25日、古巣INAC神戸レオネッサとの最終節――大宮アルディージャVENTUS・鮫島彩の現役生活が終焉を迎えた。引退セレモニーでは、彼女が語り始めると後ろに並ぶチームメイトは涙を抑えることができなかった。しかし鮫島自身は挨拶から、その後の引退会見を終える最後まで笑顔に満ちていた。
ドイツワールドカップ優勝、ロンドンオリンピック銀メダル、カナダワールドカップ準優勝と、鮫島の功績は眩いものばかり。けれど、東日本大震災、無所属でのリハビリ......何度もどん底に落ちながら、這い上がってきた。波乱にみちていながらも、時に逃避し、時にぶつかりながら乗り越えてきた。そんなサッカーキャリアを鮫島本人とともに振り返ってみることにしよう。
鮫島彩に引退に際して自身のキャリアを振り返ってもらった photo by Hayakusa Norikoこの記事に関連する写真を見る
【耐える力がついた高校時代】
――もともと絶対にサッカー選手になる! というタイプではなかったと聞いていますが、高校を寮生活となる常盤木学園へ決めたということは、この頃には多少サッカーへの道を意識していたんですか?
いえいえ(笑)、普通の高校受験をするつもりで夏期講習にも通っていました。でも同じチームからふたり常盤木に行くことが決まったんです。その時に「え? みんな行くの?」って思って、じゃ自分も高校でサッカーをやりきろうと、そのふたりに引っ張ってもらった感じです。その先を見て、常盤木を選んだわけじゃなかったんです。ただ高校3年間をサッカーに費やす覚悟がないと常盤木進学は決められないので、その覚悟は持っていましたね。
――そのストイックな高校3年間で得たものとは?
タフさ! 本当にサッカー漬けだったんですよね。寮生活で、テレビもサッカーしか見ちゃダメだったし、朝練もあって、夜も帰ってきたら22時半とか。走り込みもすごくて......タフさっていうか、耐える力がそこですごくついた気がします。
――寮からバスでグラウンドに行って、学校に行って......常に団体行動でひとりになる時間があまりないと、爆発したりしないんですか?
します! します! というか、3日に1回は辞めたい!って思ってました(笑)。どんなに苦しくても、周りがみんな同じ境遇だから耐えることができたのかも。11人しか試合に出られなくて、でも全国からサッカーができる選手たちが集まって来る。仲間であり、ライバルであり......。
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著者プロフィール
早草紀子 (はやくさ・のりこ)
兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。