今季引退の元なでしこジャパン・鮫島彩の高校時代の本音「3日に1回は辞めたい!って思ってた」 (3ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko

【雰囲気がわかっていたからマリーゼ入りを決めた】

――実際に、この世代の仲間たちが、その後の鮫島さんのサッカー人生に深く関わってくることになります。しかし、それぞれにキャラが立っていましたね。

 この時はみんな一番ツンツンしてる年頃じゃないですか。特に私は高校サッカー上がりだし、クラブチーム育ちのメンバーはすでにリーグで活躍してるんですよ。そういう場所で戦って上に上がって行くんだ! っていう気持ちをみんな持ってましたね。

鮫島彩がプレーした2006年のU-19日本女子代表メンバー photo by Hayakusa Noriko鮫島彩がプレーした2006年のU-19日本女子代表メンバー photo by Hayakusa Norikoこの記事に関連する写真を見る――でも、すぐに東京電力女子サッカー部マリーゼに入って、そうしたメンバーと同じ舞台に立ちますよね。

 いや、マリーゼはほんわかしたチームだったから(笑)。常盤木の時にマリーゼの前身のYKK AP 東北女子サッカー部フラッパーズのお姉さん方と一緒にやらせてもらって、雰囲気がわかっていたからマリーゼに決めたんです。
(つづく)

(2)鮫島彩が2011年ワールドカップ優勝のなでしこジャパンの試合中に思ったこと>>

鮫島 彩 
さめしま・あや/1987年6月16日生まれ。栃木県出身。常盤木学園高校から2006年に東京電力女子サッカー部マリーゼ入り。2011年からはボストン・ブレイカーズ(アメリカ)、モンペリエHSC(フランス)でプレーし、2012年に日本に戻ってベカルタ仙台レディースに入ると、INAC神戸レオネッサ、大宮アルディージャVENTUSとチームを変えて長くプレーを続け、2023-24シーズンをもって引退した。2008年よりなでしこジャパンに選ばれ、優勝した2011年を含め、女子W杯に3度出場。

プロフィール

  • 早草紀子

    早草紀子 (はやくさ・のりこ)

    兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。

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